「ステュディオスな状態」・・・

「芸術脳」茂木健一郎著より。
そもそもこの“ステュディオス”studiousという言葉自体あまりなじみがなさそうだ。この語源を知っている人はほとんどいないだろうという。そこで、その説明がなされていた。
この言葉から派生したものにスタディstudyがあった。これなら誰でも知っている。しかし、勉強というと義務的な語感がある。本来のstudiousは夢中になってのめり込むような状態を指していた。
そこで、スタジオstudioは、皆が一緒になって何かを作る場所だということが想像できれば分かりやすい。自分の内側から湧きおこる、これが好きだ!これが楽しい!という充実した状態がステュディオスだった。
茂木さんは少年の頃、昆虫採集に夢中だったという。これもステュディオスな状態と言えた。またこの状態は人には言葉にして説明しにくいものでもあった。こんな状態の時は幸せを感じるのだろう。

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どれぐらい「気づき」があるかが人生の幸福の度合い・・・
「芸術脳」茂木健一郎著より。
前日と今日のフレーズは佐藤雅彦さんとの対談の中にあったものだった。茂木さんは以前から「アハ体験」ということを言っていた。それはものごとが「あ、わかった!」という状態の時のようだ。
佐藤さんも以前からこの「あ、わかった1」という瞬間を生み出したいと考えていたようだ。養老孟司さんは、気づくというのは自分が変わることだといったそうだ。
しかも、人に教えてもらうのではなく自分で気づいたときのうれしさは格別だというが、まさにその通りだろう。何かを自分で発見したような気分になるのだろう。
佐藤さんも茂木さんも一日に一回は新しい気づきを得ようと、自分に義務を与えたりするのが楽しいという。それは快感だともいう。
決して人から命令されたりしていないところがいいのだろう。これは前日触れたステュディオスな状態とも似ていそうだ。

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リエーター本人と作品世界の間にギャップがあるほどいいクリエイティブ・・・
「芸術脳」茂木健一郎著より。