近すぎて見えないものがある。

恋する日本語小山薫堂著より。
最近近くのものが見えにくくなってきた。上記フレーズは、まるで老眼のようにも思えてくる。
このあとには「遠く離れているからこそ、見えるものがある」と続いていた。ここでは時間の経過を指していた。
時間が経てば、今大変だと思っていることも案外良かったのかもしれないと思うのだろう。過去を振り返ってみれば、苦労もいい思い出に思えたりする。
その中に入っている時には、見えなかったものが時間を経過することで見えてくるもの。子育ての最中は親も無我夢中だが、後では案外楽しく過ごせるものだ。
ここでのタイトルは「遠近」と書いて「おちこち」と読ませていた。意味は「未来と現在」で、遠い未来と近い現在ということか。

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何事においても、おいしい想いをするためには、咀嚼が必要・・・
恋する日本語小山薫堂著より。
これは文庫本のあとがきにあったものだった。咀嚼という言葉は一般的には食べる際に使われるが、本を読む際にも有効なようだ。
この本も咀嚼が必要な作りになっているという。パラパラとめくっただけでは、薄味のショートストーリーでしかない。
つまり何度も繰り返し咀嚼することで、確実に味は良くなるらしい。さらに自分の経験というスパイスを加えるとさらに美味しくなるというが、どうだろう。
本を美味しくいただく、という考え方も面白い。そういえば、最近あまり読み返したくなるような本に出会ったなかったかな・・・