実りある人生とは、多くの人間と関わり合うことによって達成される。

座右の銘森村誠一著より。
同じようなタイトルの本は書店ではいくつも目にしたことはあった。しかし、この作家ならどんな言葉を選んでいるのだろうかとちょっと気になった次第。
タイトルに挙げたのは、「まえがき」の部分にあったワンフレーズだった。別に座右の銘として挙げられているものではないが、私にはなるほどと思えた。
この文庫本の帯(腰巻)には次のようにあった。“言葉に救われ、励まされ・・・運命が変わることもある。”と。筆者の表現によればそれらは「重要な人生のキーワード」なのだろう。
それらには、エネルギーがあるはずだというが、それが人間のエネルギーにもなるのだった。当然ながらそれを受け取る側がしっかりと意味を理解できた場合だろうが。
このブログをはじめてからもう6年を経過しているが、その頃の自分の気持ちは、自分を含めて読んだ人にとって、ちょっとでもビタミンのようなものになればいいなぁ、などと思っていたものだったが・・・。

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幸福はそのど真ん中にいるとわからない。
座右の銘森村誠一著より。
ここでの座右の銘は「辛いという字がある。もう少しで幸せになれそうな字である」というものだった。これは兵庫県のある町で募集されたときの一作品だった。
長年生きていれば辛いことも多いものだが、それは人それぞれの境遇にもよるだろう。不公平だと感じることもある。また、いったん辛い目にあって初めてそれまでが幸福だったと気付くことのほうが多いかもしれない。
ここでは「幸い」と「辛い」の文字の比較から来ている言葉だった。一語より短い一画によって、まったく逆の意味になってしまう。ある意味両者は隣接しているともいうがかなり遠い距離だと感じることもあるのだろう。
かつて似たタイトルの短い舞台を観劇したことがあった。「棒を一本足すだけで」というものだった。芝居の内容はすっかり忘れてしまったがこの言葉だけは忘れられない。同じく「幸」と「辛」の比較だった。
文字では簡単だが、辛いから抜け出しれ幸に転ずるは自力だけでは無理なこともありそうだな。特に3月11日の東日本大地震からはそれを強く感じる次第。早い復興を願うばかり。

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文芸作品に限らず、すべての創作物は受け取り手がいて、初めて作者と作品足りうる。
座右の銘森村誠一著より。
いかにも作家自らの言葉だと思える。森村氏の経験が述べられていた。かつて、証明シリーズ、十字架シリーズ、『悪魔の飽食』等の作品、書いたものがすべてベストセラーになっていたという。
これは異常な経験だと語っている。ところが、現在はオリジナル新刊、新書、文庫等を合わせて年間40〜50冊ほど出版して、全冊合わせても当時の1冊の発行部数に及ばないという。
森村氏は作品が読者に支持されたというより、一種の社会現象のような感じだったと振り返っている。確かにマスコミにもしばしば取り上げられ、宣伝効果もすごかったのだろう。
さらに森村氏はデビュー前のことも振り返っていた。作品の山を築いても発表の舞台もなかったのだ。どんな傑作を書いたと本人が自負しても、読者がいなければ何の価値もないという。
ここでの座右の銘は「ボクサーは連戦連勝している間に弱くなる」というモハメッド・アリの言葉だった。作家も同じだと実感したようだ。うまくいっている間に、初めのようなハングリーな気持ちはいつしか失われてしまうのかもしれないな。

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無限の可能性は、同時に無限になにもないことをも意味している。
座右の銘森村誠一著より。
若いころはいろいろな希望に満ちていて、可能性も無限になるように思えるが、歳をとるにしたがって現実の限界の厳しさ味わうことになる。
若い可能性は無限でも、若さそのものは有限だった。なにもしなければ、老いるのも早いかもしれない。
昔からの「少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず」という言葉も思い出させる。若さを維持するための活力源はビジョンだと筆者は考えているようだ。
そういえば、上記フレーズと似たような言葉を書いたような気がしていた。“「何をしてもいい自由」と「何もしなくてもいい自由」”で定年後のことだった。(「老いる覚悟」(森村誠一著)より。ブログ6月12日掲載)

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メモしながらも、そのこと自体が夢ではないかと不安におもった。

座右の銘森村誠一著より。
平成6年(1994)12月13日、約1年4カ月の拘置生活から釈放されたときに、角川春樹氏は森村氏に「小説 チンギス汗」の執筆を依頼したのだった。
角川氏の熱気に押されて取り組んだものの、何日も書き出せなかったという。それはチンギスが全モンゴル制覇して即位式で人民に呼び掛ける言葉が出てこなかったからだという。その言葉さえあればと思いながらも、何日も不眠同様の夜が続いたと振り返る。
創作者の生みの苦しみというものだろう。ある夜不眠の果てにうつらうつらとしていると「遠方を見よ」と呼びかけてくる声を聞いたという。目は覚めて、枕元に置いているメモ帳に夢の中で聞いたばかりの言葉をメモしていた。
それ自体が夢ではないかと思ったらしい。翌朝、それを確かめると、「志を地の果てへ飛ばせ」と言葉が続いたのだった。それからは一気に書き続けられたという。
映画『蒼き狼 地果て海尽きるまで』は観てはいないが、チンギスのセリフはきっと迫力ある声で「遠方を見よ。志を地の果てへ飛ばせ」と言われたのだろう。
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せめて「名前なんかどうでもいい」と言われない程度の人間にないたいとおもった。
座右の銘森村誠一著より。
森村氏はかつてホテルマン時代、開業準備に追われていたとき、手不足の物資搬入の加勢に駆り立てられたことがあった。上司が各人の名前を読んだ際に、森村氏にも目を向けて「えー、きみ、名前をなんといったっけ」とど忘れしたらしかった。
そして、「名前なんかどうでもいいや、きみも新館に行け」と命令したのだった。名前なんかどうでもいいと言われ傷ついたと振り返る。確かに上司から、その場で「名前なんかどうでもいい」と口に出されたら嫌な気持ちになるだろう。
その後、森村氏は「名前なんかどうでもいい」と言われない程度の人間になりたいとおもった、と語っている。70代の後半にもなって忘れないのは、よほど強烈な言葉だったに違いない。
時には、誰がやっても同じような仕事には価値が見出せないと感じることもある。これは自分の仕事だと、仕事に署名が入れられるような職業として作家を目指したのだろう。

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多少の体調の悪さは、仕事をすることで直してしまう。
「ナポレオンで仕事上達」齋藤孝著より。
筆者の齋藤氏は仕事が好きだと述べている。充実した時間を過ごすほどテンションが上がり、効率も上がるという。いつもこんなふうに仕事ができたら気持ちがいいだろうと思える。
体調が悪くても、仕事に集中しているうちに気がついたらケロリと回復しているというから羨ましい限りだ。普通なら、なんだかんだと理由をつけて仕事をサボりたくなるものだが。
結局仕事が「好き」というのが一番のようだ。好きいだからこそどんなことがあってもやり抜けるのだろう。しばしば「好きな仕事が見つからない」「本当にやりたい仕事ができない」と言う言葉を聞く。
そんな人に対して齋藤氏は「10年早い!好きな仕事を探すより、いまやっている仕事を好きになれ!」と叱咤する。あまり好きな仕事を探すのにこだわっているのもよくないようだ。
「仕事が好き」を技にしてしまうといいという。やっている仕事が好きになる。→勉強する。創意工夫する。→結果も出やすくなる。このサイクルのように行けばいいのだが。
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自分自信のなかに「やる気の自家発電的回路」を持たないと、意欲が持続しない。
「ナポレオンで仕事上達」齋藤孝著より。
まずは小さくてもいいから達成感を味わうことが大事だった。それまでできなかったことができるようになる。距離が伸びる。所要時間が短縮される・・・などでもいいようだ。目標を設定しそれがクリアできることで達成感を味わえる。
その達成感が自発的なやる気を生むということだった。確かにそれは理解できる。仕事の面白味もそんなことの繰り返しから自信につながるのかもしれない。
前日に書いた仕事が好きになるサイクルと似ているが、ここでは次のようになっていた。「やる気→達成感→湧き上がる喜び→さらなるやる気」という回路が出来上がっていくという。
ここで大事なのは「自発的に何かに没頭する」ということだった。人からの命令でやらされ感が強いと、喜びも半減だろうな。ナポレオンはやる気の回路をどんどん拡大させていったようだ。
仕事の限界がないほど仕事に没頭していたらしい。ここから伝説的な名文句「予の辞書に不可能の文字はない」が出来上がったのだろう。好きでやっていることには心身両面にわたって疲れにくいという特徴があるようだ。

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自分のスペシャルな領域をつくる。
「ナポレオンで仕事上達」齋藤孝著より。
つまりこれは、あることについては、どんな細かいことでも知っている、ということだった。たんに頭で知っているだけでなく、できるという意味だ。
ほかの人にはできないこんなことができる、というのは強みだ。そこから、自分の持ち場を拡げていくことができる。
ナポレオンの時代士官学校の花形は騎兵だったが、ナポレオンはあえて砲兵科に進んだのだった。だから大砲のことを熟知していた。その専門領域で手腕を発揮できたのだ。
スペシャルな領域とは、それだけしかやらないのではなく、それに関することは何でもやるということだった。ナポレオンは、小さい仕事も大きい仕事も関係なくすべて自分でできるという自信があったのだろう。
確かに細かい仕事もできない人に、質の高い大きい仕事は任せられないか。ナポレオンは地味な仕事もしっかりできたのだ。


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「ナポレオンで仕事上達」齋藤孝著より。



























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座右の銘森村誠一著より。