尊敬される老人であるために、まず重要なことは、心身ともに能力が高

尊敬される老人であるために、まず重要なことは、心身ともに能力が高いこと。
「老いる覚悟」森村誠一著より。
まず、この新書版の帯(腰巻)には“老いるのも楽じゃない”というコピーがある。老いるには覚悟が必要なのだということなのだろう。
生きていれば、否応なしに老いていく。そこで筆者は、「ただ長生きしているだけでは邪魔な老人とよばれる」とまでいう。
実に厳しい言葉だが、それが現実なのかもしれない。またそうならないために何にでも興味を持って、行動しようという意識も必要なようだ。
できる限り社会に参加して、常に活動にかかわり続けることをあげている。今でも忘れがちだが、「精神力・気力・体力」のメンテナンスは非常に重要だったのだ。気をつけねば・・・

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老いたくなければ新しい出会いを求める。
「老いる覚悟」森村誠一著より。
年齢を重ねるにしたがって、ついつい人に会うのが面倒になりがちなもの。頭ではわかってはいても体が硬くなってしまってるのかもしれないが。
しかし、人生は出会いの連続だったのだ。生きるためにはどうしても、人との触れ合いがなければ不可能だ。また筆者は出会いには三つあるという。
それらは、人間、文化、場所だった。さらに、意外なことに最近では動植物との出会いもその他に考えられるともいう。つまりペットや家庭菜園などだった。そう言えば、リタイアー後に野菜作りを楽しむ人も多い。
文化では、小説、絵画、演劇などさまざまな芸術に触れて感動することでもあった。場所というのは、初めての場所に行ったり、自然に接して感銘することだった。
出会いというと、すぐに人との出会いばかりを考えてしまうが、それ以外の出会いも豊富にあることにも気付かされる。新しいものに積極的に出会いたいという気持ちがポイントのようだ。

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「何をしてもいい自由」と「何もしなくてもいい自由」
「老いる覚悟」森村誠一著より。
ここでのタイトルは「エリート社員だった人ほど悲劇的な老後を迎える」となっていた。なんだか信じられないことにも思えるが。エリートなら老後もそれなりにかなり保障されるようにさえ思えるが。
定年後のことだが、第二のスタートラインに立ったとき「これから自由にしなさい」と言われたときには、上記フレーズにあげた二つの自由があるということだった。
「何をしてもいい自由」とは、自分の夢に向かって活動することや新しいことに挑戦することだった。趣味を深めて行くことも入る。
現役時代にはやりたくてもできなかったことができるという機会でもあった。やる気次第だろうが。これも老いる覚悟だった。
「何をしなくてもいい自由」も確かにある。なるべく人と接しないで、テレビを見て寝ころんでいればいいのかもしれない。これといった趣味も持たず、何も挑戦しないということだった。これはさみしい・・・な。

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