便利さの頂上に立った者は、決してそこからおりられなくなる。

「喪失」森村誠一著より。
この本は六つの話が掲載されていて、「準犯人の愛」という短編からのフレーズだった。主人公にとっての便利さとはケータイのことだった。
主人公のKは携帯の奴隷にはなりたくないと抵抗していたものの、時代の並みには逆らえなくなってしまい持つようになっていた。しかもさまざまな機能があってさらに便利だ。
すると、たちまちその便利さに飲み込まれ逆に携帯なくしては過ごせなくなってしまったのだ。これは自分たちも同じようなものだろう。一度持ち始めると逆に身につけていないと不安になってしまう。
しかも、Kは一機では足りなくなり、プライベート用、社用、家庭用と3台を使い分けるようになってしまったのだ。彼の周囲にはそんな人はいなかった。
そういえば便利さといえば、シャワートイレ(ウォシュレットなど)も、快適で一度家庭で使い始めるともう、その便利さ快適さにはすっかりなれてしまう。外出先でそれがないとガッカリするくらいだ。

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携帯シンドローム
「喪失」森村誠一著より。
これもこの本の短編の一つ「地球から逃げた猫」という短編からのものだったが、たまたまケータイについて触れられていた。
主人公の刑事も当然ながら携帯をもっている。オフのときはよく散歩するらしい。しかもどこに行くときも携帯は絶対に忘れなかった。つまり紐付きのオフだという。
きっと多くの人が同じようなものだろう。しかも、自分では紐付きという意識さえないのかもしれない。むしろ自分から紐を付けているのだろう。
ここには「すべての人間が携帯を“携帯”しているので、みななんらかの紐付きといえよう」、「武士が刀を忘れないように、携帯は彼の体の一部になっている」
などとも書かれていた。
だから、むしろ携帯を所持していないと「山間離島にでも隔離されたように不安になってしまう。これを携帯シンドロームと呼んでいた。
最近ではむしろこの中にかなり多くの個人通信、交友情報が含まれているのがさらに一層シンドローム化しているのではないだろうか。相撲の八百長問題もこのケータイから多くの情報が証拠として読みとられていたし・・・。