仕事は人生の糧ですから、楽しくないと意味がない・・・

佐藤可士和の超整理術」佐藤可士和著より。
仕事も義務感だけで取り組んでいては気持ちも盛り上がらない。どうせなら楽しんでやりたいものだ。
佐藤氏は「楽しく、早く、いい仕事をして、人に喜んでもらって、自分もハッピーになりたい」と考えているそうだ。確かにこれが実現できれば最高だろう。
こんな理想に少しでも近づけるように仕事をしたいものだ。そこで、その第一歩として、佐藤氏は整理を徹底することを実行しているようだ。
整理術というと一般的には、身の回りの整理整頓と思いがちだが、快適に生きるためには必要なことのようだ。彼は整理自体がエンターテイメントとまで言っている。
とても考えられないことだが、さらに、整理を駆使して問題解決するという爽快さが仕事に結びついているとも語る。単に整理といっても実に奥が深い!

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解決策をかたちにする際にはじめて、デザインというクリエイティブの力を使う・・・
佐藤可士和の超整理術」佐藤可士和著より。
氏はアートディレクターはドクターと同じようなものだという。自分がドクターでクライアントが患者という立場だそうだ。
つまり漠然とした問題を抱えて、どうしたらいいのかわからないクライアントを訪れて、クライアントを問診することから始めるという。
自分の作品をつくるというより、相手の問題を解決する仕事こそが氏の仕事だったのだ。言葉によるコンサルタントよりさらに具体的な感じもする。
クライアント自体も気がつかなかったことを気づかせてあげることができれば、それは仕事の醍醐味でもあろう。
自社のブランドや商品の魅力に気づいてないこともあるようだ。整理することで、いちばん大事なものを見つけ、磨きあげてデザインするのが氏の仕事だという。
別の表現では“ブランドや商品と世の中を結びつける、コミュニケーションデザインの仕事”だともいう。これは今までにない発想にも思えた次第。

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「“とりあえず”とはいつまでのことなんだろう?」
佐藤可士和の超整理術」佐藤可士和著より。

実際に言葉には出さないものだが、何かを捨てようと思っても、ついつい“とりあえず・・・”と思ってとっておいたりするものだ。
それだけ捨てることは難しいということになる。この“とりあえず”とっておくだけでは整理したことにはならないのだ。
しかし、なにもかもそう考えていると、どんどんモノはたまっていく一方だ。すると仕事のクオリティも上がらなくなってしまうようだ。
捨てることは、不安との闘いでもあり、“とりあえず”との闘いでもあえようだ。思いきって捨てることで、頭の中もよりクリアになるようだが・・・
まずは、定期的な見直し(アップデート)をすることを、計画しておかねばならないかも。このフレーズは「空間」の整理術という章にあったもの。

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人は自分の心にバリアを張っていて、無意識のうちに外部情報を遮断している・・・
佐藤可士和の超整理術」佐藤可士和著より。
これは「情報」の整理術という章で目にしたフレーズだった。佐藤氏は、まずはじめに「今朝起きてからいままでに、どんな広告を見たか覚えてますか」と提示している。
実際にほんの数時間でも大量の広告に触れているはずだが、いったい何の広告だかは思いだせない。それだけ意識していないということだろう。
広告を発信する側は、伝えたいことがあるから、一般の人も注目してくれるはずと思いがちだという。しかし、実際は自分のことで精いっぱいのことの方が多く余裕がないもの。
だからといって刺激的な広告にしたところで、一瞬目を引いても、心の奥には浸透していかない。伝えたいことをしっかり相伝えることはそれだけ難しいということだった。
それはタイトルのフレーズにもあるように、私たちは無意識のうちに外部情報を遮断してしまっているからだった。それを打ち破るためにも、まずは情報の整理をして本質に迫ることが必要だと説いている。

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「本質的な問題のありかに気づくためには、客観的な視点をもつことが必要だ」
佐藤可士和の超整理術」佐藤可士和著より。
(前日のつづき)
広告は作る側は、当然見てくれるはずと思って作るものの、一般の人は見ていないとも感じている。むしろ、とくに関心がなければ注目されない広告のほうがほとんどのようだ。
そこで、大事なのは客観的に見つめることで、いままで気づかなかった大事なことも見え、発見できると、経験から語っている。
考え方としては「本当にこれでいいのだろうか?」ということではないだろうか。別にそれは広告に限らず、我われの日々のコミュニケーションでも言えそうなことだ。
すでに印刷物となっているものを目の前にすると、もうそれで十分だと思いこんでしまうことが多い。しかし、それを引いて見つめる(例えば顧客の立場から見る)ことで、理解しにくい部分も見えてくるはず。
それは、新たな情報を加えるということではなく、逆に余計な情報があることで、見えにくくなっていることも考えられる。そんな意味で、独自の視点での情報の整理も必要だということだろう・・・な。