若い時期に自己を高めるのは、「単独者マインド」・・・

「ブレない生き方」齋藤孝著より。
これは「葛飾北斎に学ぶ 退路を断ち、単独者として生きる覚悟」と題した章にあったものだった。北斎といえば、日本人なら誰でも知っている名前だ、またゴッホなど印象派絵画の画家たちにも大きな影響を与えていた。
彼は33歳で破門されていたが、そのマイナスを契機として単独者として生きてきた結果独自の世界を創り上げていたのだった。協調的なことはいいことだが、ともするとなれ合いになれば緊張感をなくしてしまう。
とくにクリエイティブな現場では自分ひとりで何かに向き合わなければならない。それは非常に疲れることでもあった。しかし自分を追い込むという経験こそが「単独者マインド」を育てると齋藤氏はいう。
ぬるま湯のような関係を断ち切るきっかけ、勇気がなければなかなかそうはできない。絵の道で生きていこうという強い決心が、その後フリーランスで技を磨き続け生涯チャレンジを繰り返していたのだった。
250年前の江戸時代に自己をプロデュースするアーティストが、自分の可能性をどこまでも伸ばしながら生きていたのだ。88歳まで貪欲にあらゆる画法を追求していたということらしい。

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社会で生きるということは、実は常に「断念」の連続である。
「ブレない生き方」齋藤孝著より。
これも、前日のつづきになるが、齋藤氏自身の経験を語っている部分にあったフレーズだった。「マイナスの局面が、最大のチャンス」という小項目があった。
その中で齋藤氏は、中学、高校と青春のすべてを運動部の部活動に打ち込んでいたという。しかし、高校二年の終わり頃に、友人に「お前、その成績でどこの大学にいくつもりなの?」と見下され、思い悩んだ結果部活を辞めたという。
辞めたところで自問自答ばかりしていたようだ。部活動を最後まで全うした方が充実感を得やすい、しかしそれは氏にとってぬるま湯になってしまったはずだと振り返る。
それを断ち切って勉強に方向転換したが、結果は不合格だったという。まあ、こんなことは多くの人が経験しているかもしれない。しかし「断ち切る勇気」が氏をぐいと押し上げたことは確かなようだ。
人生は思い通りにいかないことの方が多いものだ。氏の場合はまた「断念エネルギー」という表現も用いている。マイナスの状況をプラスに転換するには相当な気持ちの強さがなければならない。ふと東日本大震災のことを思い出してしまった。

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菊池寛は、文学に「マーケット感覚」を持ち込んだ。
「ブレない生き方」齋藤孝著より。
これは「菊池寛に学ぶ 需要を嗅ぎとるマーケティング術」という章にあったフレーズだった。彼は単なる作家ではなかったようだ。
はじめの部分に略歴紹介があった。その部分の一部を抜粋してみる。「大衆小説や新聞小説というジャンルを確立したといわれる。文藝春秋社を創設し、成功を収めた実業家でもある。・・・」
とあって、さらに「芥川賞直木賞を創設した男」と言った方が分かりやすかった。芥川龍之介とは一校時代からの親友だったという。同じ作家ではあったが芥川は早くから才能を認めらた早熟の天才だった。
その時代の作家の生活は不安定だったらしいが、菊池は精神的にも安定していたらしい。芸術のために小説を書くのではなく、それは生きるためだと割り切っていたのだ。より多くの読者を相手に書くというスタイルだったらしい。
文学作品として優れているよりもむしろ、マーケットに受け入れられる作品を残すべきだと考えていたのだ。例えば、当時森鴎外の評価は高かったが、夏目漱石の人気のほうが勝っていたのは事実らしい。現在でもそうだろう。

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