何かを創るということを追求していくと、みんな「馬鹿」になることが

何かを創るということを追求していくと、みんな「馬鹿」になることができる。
「デザイン馬鹿」ヒラヤマユウジ著より。

もちろんこれは、単に頭が悪いとか覚えが悪いという意味の馬鹿ではなかった。そう言えば、○○馬鹿という言葉は、たまに耳にすることはある。それは別に創ることにこだわらない。
好きなことをある一定期間集中的にやっている時は馬鹿になれる。スポーツなら、テニス馬鹿、サッカー馬鹿、野球バカ・・・と、実際に馬鹿と言われるほどやらなければプロにはなれないだろう。またその中でも優秀な馬鹿?一流選手になるのかもしれない。
勝負事に携わるプロの中でもよく練習の虫と言われるほどの人もいる。そんな人は間違いなく馬鹿なのだろう。
優れた役者は役者馬鹿、英語の勉強なら何でも好きな人は英語馬鹿と呼んでもいいのかもしれない。とことん追求できるものがある人はそれだけで幸せと言えそうだ。で、自分はいったい何の馬鹿になれるのだろうか・・・

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普通の人と同じ生活環境、生活スタイルの中でクリエイティブなものはなかなか生まれにくい。
「デザイン馬鹿」ヒラヤマユウジ著より。
もっとも「普通の人」とはどんな人のことを言うのか分からないが。クリエイティブなものが、「生まれない」のではなく「生まれにくい」とヒラヤマ氏は自らの体験では感じているようだ。
どこか当たり前とは異なっている生活スタイルがあることによって、ものの見方も異なってくるのだろう。とくにクリエイティブな現場にいる場合は、ただ机の前にかじりついているだけでは、いい発想が生まれそうにもない。
氏はアメリカの大学でグラフィックアートの勉強をし、その後フランスに渡っている。やはり異なった文化の中に身を置いたことも、その後の活動には役立っているようだ。やはり知らず知らずのうちに何か新しいものを吸収していたのだろう。
日本では常識だと思っていることでも、海外ではまったく通用しないこともある。やはり自分の考え、主張をしっかり持っていることが大切だと学んだようだ。
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「勝負メガネ」を作っておく・・・

『「人たらしの」ブラック交渉術』内藤 誼人著より。
なんだかちょっと面白い表現だったので気になった。この小項目のタイトルは「強気に出られる“魔法の小物”」となっていた。つまりそれが、メガネということだった。
メガネに限らず、人にはゲンをかつぐモノを持っているかもしれない。いいことがあった日に身に着けていた、スーツ、ネクタイ、ベルト、靴、バッグ…などいろいとと考えられる。
またモノではなく、その日のお気に入りのヘアスタイルだったり、メイクだったりすることもあるだろう。要するに自分に暗示をかけられるほどのモノを持っていることで、気持ちが強くなれればいいのだろう。
ここでは、筆者はそれとは別にメガネという小道具を取り上げている。たしかに、ふだんメガネをかけていない人が、いきなりメガネをかけるとガラッと印象が変わって見えたりする。それはスッピンの女性がばっちりメイクした時ともやや似ている。
そして、いつもメガネをかけている人なら、特別な日だけに使う「勝負メガネ」を予備に持つことを提案している。どんなものを勝負メガネとして用意するかを考えるだけで面倒に思えてくるが。
確かにふだんアホだと思っている男も、メガネをかけたとたんに、なんだかちょっと知的に見えてきたりするから不思議だ。中身は変わらなくてもイメージだけは変わる。メガネもあなどれないモノかも。
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言い争いになったとき、解決法としてもっとも成功するのは、自分から妥協してしまうこと・・・

『「人たらしの」ブラック交渉術』内藤 誼人著より。
アメリカのある大学のデータによれば、言い争いの場合、相手に譲ってあげれば、77%は解決できるという。また反論した場合、41%の確率で収まり、話し合いで収まるのは34%だった。
つまりどうでもいいことは、早々に負けを認めてしまったほうがいいということのようだ。人によって最優先するものは異なっている。で、自分にとってはそれは何であるかをまず決めておくことが大切なようだ。あとのすべては相手に譲ってもいいという考え方だった。
筆者の内藤氏の会社にはさまざまな仕事の注文が舞い込むらしい。その中で引き受けるかどうかの基準は、「楽しく仕事ができるか」を最優先にしていた。
たとえ報酬がよかろうとも、自分のやり方で楽しく仕事ができなければ引き受けないという。こんなマワママが通用するならありがたいものだが、殿様商売のようだ。まあ、一般的には理想に近いかもしれない・・・な。