10年一貫して続ければ、何事も哲学になる。

ホームページ「どらく」2011.3月4日分より。
“ひとインタビュー”で作家の志茂田景樹さん(70歳)が取り上げられていた。彼の奇抜なファッションや生き方について、上記のように答えていた。いい年をした大人がカラフルで実に奇抜だと思えるヘアスタイルや服装をしている。
芸能人でもそこまで目立った格好は見ない。いかにも目立ちたがり屋にも思える。しかし、それは彼独自の意識して行ってきたスタイルだった。知名度のある作家だとは言え、勇気がなければそんな姿でどこにでも行けるわけではないだろう。
そのファッションで街を歩きはじめた頃は、人々は足を止めて奇異な目で見たという。それが5年たつと「勇気があるよなぁ」というやや温かい目に変わったらしい。そして10年過ぎた時には、素知らぬ顔になったそうだ。きっとこの人はこういう生き方のスタイルなんだと納得したのだろう。
要するに中途半端ではなく、それで貫いてきたところがすごいとも思える。そうとう自分に自信がなければ継続できないに違いない。哲学になるまで続ける・・・恐らく並みの人間には無理だろう・・・な。

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日中の8時間労働と同じ、いや、それ以上に効率良く深夜は仕事がはかどる。
「デザイン馬鹿」ヒラヤマユウジ著より。
こう述べているのは、マルチクリエイターという肩書を持つヒラヤマユウジしだった。この文庫本は写真やイラストが満載でちょっと面白そうなので以前購入したものだった。
筆者は実に忙しい日々を過ごしているようだ。なんと睡眠時間は2〜3時間だという。しかも、締め切り前は連日貫徹が続くらしい。デザインをはじめクリエイティブの現場に携わっていれば、こんな経験は当たり前のことのようだ。
不規則な生活を続けるには、かなりの体力が必要だ。しかしその生活が氏には快楽だという。一日中頭の中では何かを創ることしか考えてないと語る。
仕事場に向かうのは昼頃で、帰宅は朝の4時から5時だという。そのうち創作意欲がわくのは深夜の時間帯だったのだ。一般人とは生活のスタイルがまったく異なっている。よく短時間の睡眠で創作活動が可能なものだと驚かされる。

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身近に自分が楽しくなるモノがないと、仕事にならないでしょ?
「デザイン馬鹿」ヒラヤマユウジ著より。
この人が集中力がわいてくるのは、(部屋の)微妙な汚れと楽しいモノがまわりにあるときだという。逆に整理整頓され過ぎている場所では落ち着かないようだ。
人によっては、ファミミレスや喫茶店の方が落ち着いて仕事がはかどると聞いたこともある。私はどちらかというと、静かなほうが、気持ちがゆったりできるが。また慣れた場所、例えば自分の部屋、行きつけの喫茶店であることも仕事がはかどる条件とも言えそうだ。
確かに創作活動ということになれば、ある程度の刺激が必要なのかもしれない。また気になったことを調べたい時にすぐに、それが可能な環境というのも見逃せない。
あまりに不自由な空間では、仕事も効率的にはかどらないものだろう。しかし、この人のように、“楽しくなるモノ”っていうものは考えたことがなかった。それはいったいどんなものだろうか・・・

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デザインすることは料理を作ることだ。
「デザイン馬鹿」ヒラヤマユウジ著より。
このあとには次のように続く。「〜要するに素材となるイラストや写真は食材なのである」と。
氏の頭の中ではそれらの材料を使い何をどうやって料理するかを考えているようだ。そしてクライアントであるお客さんが料理を口にしたとき、こぼれる笑顔が見たいがためにがんばってしまうという。
だから自分のことをデザイン馬鹿だろいうのだろう。実に面白い考え方だが、クリエイターの立場からすれば、それは本音だとも思えてくる。
これは人に何かプレゼントする場合と単純に似ている。贈った相手がその包みを開けて、喜ぶ顔が見たいために一生懸命プレゼント選びをするときと同じだ。
できればオリジナルなもので、あっ!と言わせられればなおいいのだろうが。サプライズが大きいほど、その感動は長続きしそうだ。(話がややそれてしまたか)

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学校では技術は学べる。でもその先は、自ら学ばなくてはならない。
「デザイン馬鹿」ヒラヤマユウジ著より。
いきなり次のような面白い表現を使っている。「優秀なデザイン馬鹿になるためには、短時間でおもしろいアイデアを生み出せる力が欲しい」と。
つまり、才能がある人(クリエイター)なら、ある一定時間内に人を惹きつけられるようなアイデアを生み出せるはずという意味だろう。
しかも、まぐれではなく、ある程度コンスタントにそれができることが必要なのだ。野球なら、たまにまぐれのホームランを打つより、常に3割打者であり続けるということだろう。
それを目指すには、氏は創作の環境や生活スタイルまで自分独自のものであるべきだと考えている。とはいっても、ムリしていては続かない。何ごとも自分に合ったラクな状態であるからこそ、継続できるものだ。

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