雇用環境が厳しい中では、他人との差別化がものをいう。

「プレジデント」2011.1.31号より。
これはコンサルタント堀紘一氏が語っているなかのワンフレーズだった。「これはあの人にしかできない」という印象を刻み付けることができれば、条件のよい職場が待っているかもしれないという。
そもそも正社員になること自体が、かなり難しい時代になっている。就活でも早めに内定を獲得できた大学生は、それなりに人と異なる点をアピールできた結果だろう。少しでも自信がなければそれは相手に伝わってしまう。
堀氏は自分の得意分野や評価されるところを冷静に知って、その分野のレベルアップを図ることが大切だと述べている。これは学生時代の受験勉強とは異なっていた。受験なら、苦手科目を勉強し、克服できればのびしろも期待できる。
しかし、ビジネスマンの場合は、苦手科目は捨てて、得意科目だけを徹底的に伸ばすべきだということだった。語学でいえば、英語だけでは心もとないと思って中国語を中年になってから学んでもかなり苦労するようだ。
そこそこできるだけの中途半端な語学は、ビジネスでは役にたたないのだろう。もし英語がそこそこできるなら、むしろ英語が「とてもできる」レベルを目指すべきだという。
またビジネスの場合、あらかじめ設定された問題もないし、解答も一つとは限らない。さらにその問題も自分で設定して、解答も考えなければならないというわけだった・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どんなものが売れているかといえば、売る側が信じて売っているもの・・・
「プレジデント」2011.1.31号より。
“やりぬく力”というテーマで柳井正氏が語っている中の発言だった。これを逆の考え方をすれば、また分かりやすい。売れるかどうかわからない、と少しでも疑いながら売ろうとしても、売れるはずがないということだろう。
氏の経験から、「これ買ってください。これは絶対いいものです」と、そう断言できる商品は売れるという。確かに世の中には似たような商品があふれかえっている。どこがどう違って優れているのかが納得できなければ、買うほうもその気にはならない。
また柳井氏は、ゴールつまり目標に縛られるのはまだ本物ではないという。それは具体的な日付、数字などの目標に寄りかかると、それが不可能だとわかった時点でやりぬけなくなってしまうからだという。
本当にやりぬくためには、コンセプトや理念を設定する必要があったのだ。たとえば、ユニクロの場合は「服を変え、常識を変え、世界を変える」というコンセプトに向かっていたようだ。それでこそ、「無限の成長」につながるようだ。
ヒートテックはファッションや人の生活スタイルまで変えてきた。これを何万点売ろう、や金額だけを目標にしたら、単なるヒット商品で終わっていたと振り返る。客のニーズを上回る、本当に価値のある商品を生み出すことがポイントのようだ。つまり、消費者自身が気がついてないものを気付かせてあげると言うことかもしれない・・・な。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ネットやメールで意外がつながりが・・・
別にフレーズというわけでもなく、ふと自分が感じたことだった。とはいっても、いま流行りのフェイスブックでのつながりではなかった。先月ときどき私のブログを訪問してくださる“アートソムリエ”さんのブログを読ませていただいている時だった。氏はサラリーマンコレクター(絵画作品)として名の知れた方だった。
そこには氏自身の著書の紹介があったのだ。「週末はギャラリーめぐり」(山本冬彦著)だった。その後さっそく新書版の本を読み始めたのだ。そして、その本のおよそ半分くらいのところまで読んでいると、ふと私の知り合いのMさん(やはり絵画のコレクター)にメールを書いてみようという気になったのだ。
私自身はまったく絵画のコレクターではないが、絵画鑑賞は比較的好きな方だ。Mさんとは絵画の話で気があって、約35年ほど前から親しかった。今こんな本を読んでますと、ケータイでメールをすると、その30分後にさっそく返信があり、何と!「いま読んでいる本の152ページに私のことが紹介されています」とあったのだ。
私はその時120ページあたりを読んでいたが、すぐにそのページを開いてみれば、なるほどMさんのフルネームでコレクター仲間の活動ということで触れられていたのだ。アートソムリエさんとMさんは20年来のコレクター仲間としての知り合いらしい。こんなつながりも楽しいひと時と感じた次第。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
作家の顔が見える作品を日常生活で身近に使ってみる・・・
「週末はギャラリーめぐり」山本冬彦著より。
この本はふだんあまり絵画など美術作品になじみのない読者にも、入門書として読み易く書かれている。また若いアーティストに対する支援についても熱く語られていた。
さて、上記フレーズのあとには「美術品が身近な存在になります」と続く。ここでの美術品とは実用として使える陶磁器や漆器なのど食器類、花器などを指していた。
高名な作家ものならお気楽に買ったり使ったりはできないもの。しかし、若い陶芸家のものなら、意外に安く買え実用できる。
そういえば、我が家にも地元に住む東京芸大の陶芸科卒の女性作家のコーヒー碗皿があった。コーヒー好きの妻は時どき使っているようだ。
それは大量生産のブランド物の器と異なり、ひと味違って味わえるのだろう。こんなこともありふれた日常を豊かに変えてくれるのかもしれない・・・な。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
同時代を生きた作家とコレクターという関係。
「週末はギャラリーめぐり」山本冬彦著より。
山本さんが初めて絵画を購入したのは、30年以上前に会社員だった29歳の時だったと振り返る。その後無名な若い作家の作品を中心にコレクションをしてきたと語るが、後に有名作家や美大の教授になった人もいるようだ。
自身も年齢を重ね、作家も同じだけ成長し、実力を伸ばして活躍する様子を確認できるのは、なんと素晴らしいことだろう。中には消えてゆく作家もいるとはいうが。
作家の成長を眺め、交流を楽しむということから、まったく別のことを思い出した。それは私がかつて何度か訪れた甲子園の高校野球や神宮での大学野球のことだった。
当時、球場で生で見ていた選手が、その後ドラフトにかかりプロに入団して一軍で活躍する姿は特にファンでなくてもいいものだった。やがて、彼らも現役を引退し、コーチ、監督などの指導者や解説者になっていく。
またそこでもまた狭き門だ。美術界にしろ野球界にしろ第一線で生き延びる厳しさは同様だと感じた次第。(タイトルのフレーズとはややずれてしまったかも。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アートは分かる、分からないではなく自分が感じるものでいい・・・
「週末はギャラリーめぐり」山本冬彦著より。
まさにその通りでしょうね。しばしば、絵はよく分からないという声を耳にするが、それは自分が理屈や先入観で難しく考えているからではないだろうか。
もっと感覚的なもので、人の評価より自分が楽しいと感じればそれでいいのだ。理屈抜きに気に入るか入らないかだけでもいいようだ。
だから大美術館でフランスの有名画家の絵画展だからという理由で観に行ってもそれは、本当に絵画そのものを楽しむこととは違っているのだろう。
一応教科書にも掲載されている画家の展覧会だから、観ておく価値はあるだろうという程度の思いこみではないだろうか。
以前、ある人に抽象がよく分からないと言ったことがある。するとその人は、ネクタイの柄を選ぶときと同じだと思えばいいと言われて、すぐに納得した覚えがある。絵に余計な理屈は不要なのだな・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

厳しく言えば美大は詐欺の確信犯とも言える。
「週末はギャラリーめぐり」山本冬彦著より。
これは実にショッキングな発言でもあったが現実だ。私自身は美大の卒ではないが、絵画に関心があった一時期は行きたいと思った時期もあった。なぜ詐欺などという表現が使われたかといえば、簡単にいえば経済でいう需要と供給との関係が異常にアンバランスなことが原因だからだった。
つまり将来のプロの絵描きとしての夢を持って入学してくる美大生はやがて卒業するが、その後実際にプロとして自立できるのは約3%だという。ここには「今や美大・音大は巨大なフリーター養成所になっている…」という表現もあった。
美大・音大を出ても定職に就けない人が実に多いことがうかがえる。日本でプロの絵描きとして専業で生きていける作家は百人もいないのではないだろうか?と、山本氏は指摘する。
かなり名のある作家でも、大学や塾・カルチャーセンターなどで教えるなどの定職があるから描き続けられるようだ。そんな現実にもかかわらず夢を追う若者は多い。そして先の見えなそんな夢を追って、アルバイトで食いつないでいるうちに中年になってしまうこともややかわいそうにも思えてくる。
そこで山本氏は今のような大量の美大卒業生がいること自体がおかしいと指摘している。そして、美大や教師陣もそのことは承知のはずだったのだ。しかし、それを明らかにしてしまったら彼らもまた職を失ってしまう・・・。だから上記のフレーズになる。う〜む・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・