進歩する唯一の方法は「トライ・アンド・エラー」をくり返すこと。

『「一勝九敗」の成功法則」ジョン・C・マクスウェル著より。
ここでの大きなタイトルは「一度失敗してみる」となっていた。より大きなチャンスをつかむためにはそれは不可欠な要素だと思える。興味深いエピソードがあった。
それはある美術学校の陶芸の授業でのことだった。教師はクラスを2つに分け、半分の生徒には“作品の量”で、もう半分の生徒には“作品の質”によって採点すると告げたのだ。
すると、結果は優秀な作品は“量グループ”から生まれていたという。つまりたくさんの作品を作っていく過程で、失敗しそこから学んだことでいい作品を生み出せたのだった。
一方“質グループ”の生徒は完璧な作品について理屈をこねて手を動かさなかったので、中途半端で作品になりそこねた粘土だけだったそうだ。
こんなことから、筆者は目標が、ビジネス、スポーツ、芸術、人間関係などどんな分野でも同じことは当てはまると指摘している。単にデータや情報を眺めていても、実績にはつながらないことはよく理解できる。

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偉大な発明・発見の多くが“怪我の功名”から生まれている。
『「一勝九敗」の成功法則」ジョン・C・マクスウェル著より。
これも、前日触れた「一度失敗してみる」という部分からのものだが、失敗してみるとどうなるかという一つの結果でもあった。ちょっとミスすれば失敗だと思ってしまう。しかし、場合によってはそれが「予想外の結果」を生み出すことにもなっていたのだ。
ここにはいくつかの過去の実例があった。エジソンが蓄音器を発明したのは、まったくの偶然からだったとある。また、ゆでた小麦を一晩鍋の中に入れっぱなしにしていた結果、ケロッグ・コーンフレークが誕生したともある。キッチンペーパーのスコットタオルは、トイレットペーパーをつくる機械が不具合を起したときにできたものだった。
かつてのノーベル賞を受賞するような発見も、研究の途中で思わぬ偶然の結果見つかったというような話もよく聞く。結果を単にミスととるか、思わぬ発見と考えるかの違いで大きく変わる。
さて、こんな大きな発見でなくても、自分自身で“怪我の功名”と呼べるような経験があるだろうか、とふと考えてしまった。自分のミスではないが、、電車が遅れて時間がたっぷりできてしまい、何気なく売店で買った本から仕事のいいヒントが得られたということもあった。
いい意味での予想外の結果・・・これからも期待したいものだな・・・

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どんな失敗も「成功という宝石」を輝かせるための研磨剤なのだ。
『「一勝九敗」の成功法則」ジョン・C・マクスウェル著より。
このフレーズ自体が、輝いてみえる名言に思えた次第。これは古いことわざが元になっているようだ。それは「宝石は磨かなければ火からない。人も試練を経験しなければ完全にはなれない」というものだった。
さて、ここで再びこの本のタイトルを振り返ってみた。「一勝九敗」では、それだけみれば完全な負け越しになってしまっている。しかし、この本を読み進むうちに数多くの失敗という言葉から、九敗とは数多くの失敗の意味だと感じとれる。
そして、そんな失敗から学んだことを生かしてこそ、最後に成功に結びつけることができるというのが、一勝だったのだ。だから、順番では“九敗後の一勝”ということになるはず。
しかもこの一勝はイコール成功ということで、それ以前の九敗を大きく上回る、帳消しにするほどのものであるのだろう。やはり今までのように、ボケっとしていては、ダメなのだなぁ・・・