あえて最高のアマチュアで行きたいと思う・・・

「相鉄瓦版」2011.1月号より。
この号の特集は「ステージに魅せられて」となっていた。はじめに演出家の宮本亜門さんが“劇場という場で楽しむために”と題して書いていた。宮本さんはオープンするKAAT神奈川芸術劇場の芸術監督に就任していた。
氏はすでに知名度の高い演出家であるにもかかわらず、上記のようなことを述べていたのでちょっと気になった次第。劇場に足を踏み入れると、観客の気持ちになって興奮し、芝居を見て「ブラボー!」というような声を上げてしまうこともあるらしい。
プロとして作る側の人間でありながら、同時に自らも演劇を十分楽しんでいるということだと理解すればおかしくはない。最高のアマチュアという考え方も自由度があって面白い。
舞台を見ながらも、もちろん自分ならこうするのにと思うこともあるらしいが、それさえも楽しいようだ。つねに一ファンであるという視点でものをみることは大事なのだろう。その心構えがあればまた新しいものを発見できるのかもしれない。

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ジンクスを気にしたり縁起をかついだりするようなこと・・・
「相鉄瓦版」2011.1月号より。
ここではバレエダンサーの上野水香さんが“バレエダンサーという生き方”と題して語っていた。そのなかで、本番前のプレッシャーとの付き合い方でちょっと面白い部分があった。
一つの作品で何度も公演していると途中で慣れのようなものが出てくるらしい。しかし、だからといって緊張感がなくなるわけではないという。そして、ふだんジンクスや縁起はかつがないが、一つだけ例外があると語っていた。
それは、カメのぬいぐるみだった。舞台の袖に“カメの場所”を設けて、自分のステージを見守ってもらいのだった。それは小学生の時から何となく初めて今のカメで三代目だという。
結局これは自分だけに通用するおまじないのようなものだろう。一度そんなふうにして、うまくいくと次回もそうしてみたくなるという心理はよくわかる。
やはり信じるものがあれば、すくわれるということだろうか。どななものでもそれがあることによって、緊張感が和らぎ、安心感が得られればいいものだと思える。(逆にそれがないと不安は増すだろうが。)

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大衆向けにつくられた娯楽より、もっとおもしろいものを自分で発見する・・・
朝日新聞」2011.1.15付けより。
神奈川沿線版のページに「夢みる心に老いはない」と題して、インタビュー記事があった。鎌倉に住む77歳になる早川さんは現在自ら絵を習いながら、その師の作品の展示を自宅で月に数日開催していた。
早川さんは高校を卒業後神田の繊維問屋に勤め、その後結婚して子供を授かったが、新聞もとらずテレビも置かなかったという。別にケチや頑固ではなかったようだ。必要がないと考え奥さんもそれを尊重したという。
息子さんも「人と同じである必要はない、違っているからいい」という価値観をもっていた。実に徹底した考え方が家庭に行き渡っていたようだ。両親からしっかりと学んだようだ。
さて、もう一度タイトルを振り返ってみると、実に力強さを感じる。人が作った娯楽よりも、さらにおもしろいと思えるものを自分で作り出す、発見するというのは実にエネルギーが必要そうだ。しかし、その過程にこそ面白さはあるのだろう。
たとえば、散歩の途中で雑草を摘んで自宅の庭に植えて楽しむ。またそれらの草花を描く。さらに絵の師である人の作品を常時展示する施設美術館を開設している。こんなところに人生を楽しむ極意があるに違いない。