140文字というのが、逆に絶妙で心地よかった。

「メトロポリターナ」2010.12月号より。
これは当然ながら今流行りのツイッターのことだった。この字数制限というのは実に不便に感じてしまう。しかし、これは“あえて”付け加えられているものだったのだ。
メールやホームページ、ブログにしてもいくらでもだらだらと書ける。しかし、ツイッターの140文字の元ネタを探っていくと絵葉書だったらしい。ここにその理由として『Twitter社会論』の著者、津田大介さんの文が紹介されていた。
ドイツの研究者が絵葉書を集めて、何文字で必要最低限の情報を伝えられるかを研究したという。すると、ほとんどが150文字以下だったのだ。その結果ツイッターの文字制限になったようだ。
伝達のための最新ツールが、アナログの絵葉書を参考にしたというのもちょっと面白い。でも、いつも140文字に制限されていると、満足なコミュニケーションができるかどうかなぁ・・・

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頭でわかることと腹でわかることを区別し、腹でわからなければ本物ではない。
『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。
松下幸之助はよくこう言っていたそうだ。やはり裸一貫から世界的な企業をつくりあげた人の言葉は分かりやすい。また“本当の知恵はその汗の中から生まれてくるもの”ということも言っている。
どちらも似たようなことを意味しているのだろう。「頭でわかる」ということは、ものごとを知り理解して知識を得ることとも考えられ、「腹でわかる」とは考え、発想する知恵の部分ではないだろうか。
昔よく言われた言葉に「畳の上の水練」というがある。水泳の達人の先生の講義をいくら受けても本当に泳げるようにはならない。運動も仕事も体で覚えるしかないのだろう。
まず体で覚えて、つまり汗を流して知恵はついてくるということを松下幸之助は自身の苦労の経験から伝えている。単に出来上がった数字データを見ただけでは、本当のところは見えてこないもの。やはり現場に出て体で実感し知恵を働かせということだろうな。

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型を習うのは誰でもできるが、型をつくるのは天才の仕事だ。
『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。
これは将棋の升田幸三のことを述べた部分で目にしたフレーズだった。スポーツにしても各種勝負事にしても、たいていは基本の型というものがある。囲碁、将棋では定石といわれることもあるだろう。
それは、先人が長年の苦労の末に作り上げたものだ。升田幸三に魅力は、その後の定跡となるような創造的な手をいくつも生み出したところにある、と齋藤氏はいう。
自分が初めて編み出した戦法が、その後の棋士たちの戦術の基本になっているという。実にすごいことを成し遂げている。つまりこれが型をつくった、ということだった。やはり並みの人間にはできないことだ。
それゆえ天才棋士だといえるのだろう。しかし、それらの新手は命がけで取りかかるところに生まれたようだ。死に物狂いの苦しみが型を生み出したということなのだろう。

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