忘れるコツは、別のことにエネルギーを注ぎ込むこと。

『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。
この一冊には多くの有名人が残したはげまし言葉が掲載されている。もともとは『週刊文春』に「説教名人」として連載されたものを一冊にまとめたものだった。
上記は作家の宇野千代さんのことについて触れている部分にあったものだ。宇野さんは98歳まで生きて、大変頑強なたちであったらしい。一度も頭痛や肩こり、腰の冷えなどを感じたことがなかったとある。
宇野さんは、いつでも嫌なことは忘れることにして、自分にとってよい事だけを覚えていることにしていたという。実に都合がいい生き方だ。
そしてそれは習慣になっていたのだった。むしろ特技だともいっている。すごいことを特技としたものだ。こんなことは分かってはいるようだが、なかなか出来そうもない。
さらに強い言葉は、“死んだ後のことは、死んでから考えればよいと思っている」とも述べていたことだ。波乱の多かった人生も、そういう強い意志で乗り切ってきたのだろうな。

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ただ勝てばいいというものではない。それではアマチュアだ。
『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。
アントニオ猪木の言葉だった。プロレスは理屈抜きに楽しめるところがよかった。最近はほとんどテレビ放映もされないが、かつてはよく観たものだった。また会場にも足を運んだことも何度かあった。
もし「ミスター」という言葉からすぐに長嶋茂雄を連想するなら、「闘魂」という言葉からは、アントニオ猪木を思い浮かべてしまうほどだ。彼の現役時代にはそれほどよく使われた言葉だった。
最近まで格闘技がよく流行っていたが、その走りは、もう30年以上前に行われた、アントニオ猪木対M.アリの異種格闘技戦ではなかったろうか。その後格闘技ブームが次第に起きてきたようだ。
やはり、プロレスでは、観客を喜ばせられなければ価値はないだろう。猪木は相手の得意技を受け止めて、相手の魅力を発揮させる。さらに自らも得意技で勝ちにいくというスタイルだった。
ただ勝ち負けだけではなく、お互いの魅力を引き出しあいながら、真剣に勝負していくのだった。もしこれが一般の仕事でも、どうせやるなら楽しく成果を上げたいと思うのともちょっと似ていそうな気もするが。
ただ単に結果的に営業成績があがったというだけよりも、顧客に対しても十分に満足してもらえたかまで考える余裕が欲しいものだ。さらに自分がどれだけやりがいを持てたかを実感出来れば最高だろうな。

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一度自分の持っているものをすべてさらけ出し、人から見れば非常識と思われることにチャレンジし続ける。
『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。
(前日のつづき)
これも齋藤氏が、アントニオ猪木のことを述べたものだった。前日も述べたが、異種格闘技戦では、猪木側にとっては普通に使われていたプロレス技が使えないというがんじがらめのルールで行われていた。
しかし、猪木はその路線を続けるためにあえて、その厳しいルールに従って興行をやっていた。ある意味大きな(非常識と思える)チャレンジでもあったのだ。
現役をかなり前に引退した今でも、アントニオ猪木の存在感は大きい。それは明るく前向きに突き進むというスタイルがあるからだろう。たまにテレビで見る笑顔も豪快だ。
ちょっと変わったところでは、猪木にビンタをもらうという儀式も人気がある。彼でなければできない芸当だろう。それは言葉ではなく闘魂スタイルという説教のようだ。

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得意なことを自分から進んで宣言すれば、そこにはプライドも責任感も生まれる。
『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。
本田宗一郎は「能ある鷹は爪を隠すというのが大嫌いなんだ」と言ったそうだ。みんな自分の得意なことで働くべきなんだという。
そうすると人から見れば、苦労に見えることも、本人にとっては一番楽なことで人に認められるからだった。確かにそれは理想的なことでもあるが。
本田氏は自分の得意なところを徹底的に伸ばすほうが、苦手なところを直すより会社にとってはいいことだと考えていた。自分が得意なものを言わないで、会社に不平をいっても意味がないと考えていた。
まずは、自分が得意な分野のものを持つことが大事なのだろう。得意なことを宣言すれば、責任感も生まれてきて、その心の張りが力を伸ばすという。
最近心の張りをもって仕事をしていることってあるだろうか、と振り返ってしまった。う〜む、なかなか難しい。そもそも得意なことってあるかなぁ〜・・・

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少子化にもかかわらず、大学進学率が5割超え、大学数とともに大学教員数も増加中。
朝日新聞」2010.11.27付けより。
“オピニオン”という紙面には「教授の資質」と題したちょっと興味深い記事だった。2010年度の文部科学省の調査によると、大学・短大への進学率は56.8%だそうだ。
大学生は288万7千人で過去最高だという。しかも、4年制大学は778校にものぼり、20年前の1.5倍に増加していた。それと同時に大学教員数も’1970年に7万6千人だったのが、’10年にはなんと17万4千人にまで増えているという。
教員まで約10万人も増加しているとは驚きだった。大学生の増加は、逆に少子化だからこそ、教育費も一人の子供に十分かけようというのだろうか。
問題は、増加傾向になる大学教員の資質がいったい今後どうなるのかということだった。その中には、実務経験を買われた社会人教授も増えているようだ。私の学生時代はそんな教員はほとんどいなかったようだが。

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就職支援をうたい文句にする大学は、社会人教員を採用することが多い。
朝日新聞」2010.11.27付けより。
(前日のつづき)
これは、千葉大大学院教授の松野弘さんの述べていることだった。松野さんは、まず大学の超大衆化時代を迎え、教員の質も問われていると語る。
1985年から大学教員の資格要件が「専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められる者」との条項が新設され、社会人が大学教員になる道が開かれたのだ。
その後、公務員、企業経験者、マスコミ関係者、タレント文化人らの社会人から教員に採用されることが多くなっているようだ。欧米の場合は博士号がなければ、原則大学教授にはなれないのと比べかなり緩やかな基準だった。
松野さんは、学生集めのために知名度の高いタレントを教員に招く大学もあると指摘している。しかし、本来は大学教員の採用基準を厳格にすべきだと主張している。
松野さん自身も、企業勤務を経験して大学教員になっているが、その間著書20冊、論文45本、翻訳19冊を著し、博士号も取得していた。だからこそ、そうそう簡単に(博士号もとらずに)社会人を経験があるからといって採用すべきではないといえるのだろう。(それにしてもすごい実力を感じさせる!)

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現場での実体験のある社会人教員は見識も広く、講義に説得力がある。
朝日新聞」2010.11.27付けより。
(前日のつづき)
これは、ジャーナリストで明治大学教授の蟹瀬整誠一さんの意見だった。蟹瀬さんは以前よくテレビのニュース番組にキャスターとして活躍していた人だ。その前は、外国通信社の記者もしていたようだ。
そんな自身の経験からも、社会で経験を積んだ人間が教壇に立つことに意義があると述べている。社会人教員が現場の様子を解説するのは学生の刺激になり、さらに、現場にいた人にしか語れないことがあるという。
だから、科目を担当できる見識と能力があれば、資格条件に博士号の有無は問わないとのべている。確かに、書物で得た知識よりも経験で得たもののほうが説得力があるだろう。
また学生とのコミュニケーションにも優れていることが多いらしい。また学生の評判もいいという。確かに私が学生なら現場を経験した人の話を聞きたいものだ。もちろんタレント教員でもその能力がないとなれば淘汰されてしまう。

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大学は教員の新陳代謝にもきちんと責任を持つべきだと思っている。
朝日新聞」2010.11.27付けより。
(前日のつづき)
大学教員の資質について述べている、3人目は関西国際大学長の濱名篤さんだった。濱名さんは、上記フレーズのように述べていた。
また、大学の教員の資質や評価基準は一律には決められないという。それは同じ大学の中でさえ、教員の役割が違うからだった。資質は均一ではあり得ないと述べる。
立場から、教員には「研究より教育に比重を」と求めているようだ。教員には役割を分担しながら学生に学習の仕方を教え、卒業後の人生設計もさせるという。
これはかなり高いレベルの指導の仕方だとも思える。机の上の学問だけでは簡単に教えられそうもない。やはり経験を積んだ社会人教員の力は大きそうだ。
たとえば、犯罪科学を教えるのは、元警察署長や科学捜査研究所のOBだった。単なる書物からだけの知識を教えらるより、学生は興味深く学べそうだ。
そして、教員を採用するときには、最初の任期を3〜4年として、この期間に実績を上げられなければ、契約更新とはならないようだ。これが、フレーズにあげたことだった。

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