孤独(ひとり)の−(マイナス)を+(プラス)にする技法。

「孤独のチカラ」齋藤孝著より。
この文庫本の腰巻(帯)にあったフレーズに今頃になって気がついた次第。まるでこの本のサブタイトルのようなものだ。さらに、この帯には“私が乗り越えた《暗黒の十年》のこと、初めてお話します。”とあった。
今までの齋藤氏の本とはちょっと違っていた。実に個人的な経験が豊富に語られているところが興味深い。しかも、《暗黒の十年》という表現もすさまじい。
人はもともと一人では何もできない。しかし、一人でなければできないこともまた多い。仕事や勉強をする場合もそうだ。地道な研究、調査、実験の繰り返し、発見・・・。作家やスポーツマンでなくても、一人でなければできないことは多い。
そうそう、この本のタイトルが単に「孤独力」ではなく、「チカラ」とカタカナになっているところに強調する意図があるのだろう。一見、孤独はマイナスに思えるが実はプラスの要素も多いことをこの本は教えてくれる。

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怨念が私に、いまこれほどまでにハードに仕事をさせていると言える。
「孤独のチカラ」齋藤孝著より。
まず、プロローグの部分で、齋藤氏は「自分を徹底的に磨く。勝負をかける。その時期に、自ら進んで孤独になる。」
つまりこれが、孤独の技法だという。実に強く挑戦的な考え方だ。一般人には、これほどまでに、積極的に孤独になろうとまで考えることがあるのだろうか。
齋藤氏が怨念と言ったのは、自分は仕事ができると思っていたものの、人はそれをやらせてくれなかったからだという。だからこそ、それが怨念になって、その後は猛烈な勢いで本を出し、講演、授業、マスメディアに出演しているのだった。
前日、《暗黒の十年》という表現があったが、それは、受験に失敗した18歳明治大学に職を得る32歳までの十数年間のことだった。そういえば、私も大学を卒業してから10年ちょっとの間は、自分のしたい仕事はできなかった。
この章のタイトルは「失われた十年(孤独と私)」となっていた。そういえば、推理作家の森村誠一氏も、ホテルマン時代は本来の仕事だとは思っていなかったようだ。その怨念でひたすら書きまくり、人気作家になってからは長年にわたってベストセラーを連発していた。
孤独だった時期をバネに飛躍する人はけっこういるものだな。ただ何となく順調に過ごすのも悪くないのだろうが、またこういう生き方もあるのかな。

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孤独を莫大なエネルギーに変換できることを知った・・・
「孤独のチカラ」齋藤孝著より。

孤独をエネルギーつまりチカラに変える。そのためには技術が必要だということだった。技術とは考え方だろう。
やはりこれも怨念に近いものだ。齋藤氏には、過分に不幸だと思いこむ力があったという。これもちょっと面白い表現だ。
はじめは受験に失敗して、強く感じたのは出遅れた年月が無意味でないことを絶対に証明しなくてはいけないと怨念めいた気持ちになったという。
スムースにことが運んでいれば得られなったであろう何かをつかみ取ろうとしていたのだ。しかも学生時代はこれ以上ないと言えるほど、ぎりぎりの孤独を生きていた、と述懐している。
そして、「このままではすまさいなぞ、十倍、二十倍で負債は返してもらう」とまで考えていたようだ。
孤独を莫大なエネルギーに変換でき、結果的に大成功している現在はすごいものだ。つまり強い意志と実行力があったのだろう。
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実際に孤独になることで、単独者というものに目覚めた。
「孤独のチカラ」齋藤孝著より。
齋藤氏にとって、暗黒の十年は、浪人時代から大学二年まで、大学院時代、さらに第三期は大学院を出た後の無職の時代だという。
大学院の博士課程時代には毎晩十一時まで大学にいて、正門は閉まっているから塀を乗り越えて帰ったようだ。連日必死に勉強していたと語っている。実にすさまじい。しかも無謀にもその時期に結婚していた。
そして、第三期の無職で子供ありの時代の数年間は悲し過ぎて語れないというから、実にひどい生活をしていたのだろう。30過ぎて家族がいて無職とは考えただけでも恐ろしい。
幼少期からやりたい放題にやって過ごしてきた齋藤氏にとっては、暗黒の十年は落とし穴だったようだ。しかし、その時期に単独者ということも意識したようだ。
つまりそれは、つるむということでは到達できない地点があるということだった。登山家はチームであっても単独者だという。山は自分で登るしかないということだった。
齋藤氏にとっては、実際の山登りではなく、精神の山登りであったのだ。それは氏の得意分野でもあったのだ。だからこそ、その後の成功につながったのだろう。