「自分が好きなものを好きな人は、絶対にいい人だ」・・・

偏愛マップ齋藤孝著より。
この“・・・”のあとには、「〜という錯覚ともいえる確信があります」と続いていた。結局自分と趣味、好みがあえば、いい人に違いないと思ってしまうのはよくあることだ。それは、錯覚かもしれないが。
そこで、この偏愛マップをつかえば、話が盛り上がるということになるのだろう。しばしば自分の話ばかりよくする人がいる。相手が聴いていようがいまいが、話し続けたりする。
こんな人は相手のことがよく見えていないのだろう。しかし、そこに偏愛マップがあれば、お互いの共通点にを見出して話そうとするようだ。またそこに知らないものが書いてあれば質問もしやすい。
もし、相手がいろいろなことについて知っていてセンスを感じさせるなら、自分にとってもいい刺激になるものだ。やはり単なる一時的な情報よりもしっかりとした知識、を与えてもらえれば得した気にもなるな。

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気をつけていないと、仕事以外の話がまったくできなくなる・・・
偏愛マップ齋藤孝著より。
これは実に気になるフレーズでもあった。ついつい人と話していると、仕事の話に流れてしまいがちだが、それだけでは面白くもない。趣味の話で盛り上がればうれしい。
つまりどれだけ世間話をしているか、と振り返ればあまりないかもしれない。しかし、女性の場合は男性に比べて世間話が上手なようだ。男は歳をとるにつれてより話さない傾向にある。
仕事で人と会っている場合でも、やはりその潤滑油は世間話や雑談ではないだろうか。自分の関心があることについて、黙っていても仕事にはプラスにはなりそうもない。
むしろ、仕事以外の顔も見せることで理解してもらったり、信頼関係も築けたりもする。インフォーマルなコミュニケーションが仕事にも生きてくることはよくあることだな。
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説教でもない、愚痴でもない、楽しいコミュニケーションはないのか。
偏愛マップ齋藤孝著より。
(前日のつづき)
かつては飲むことがコミュニケーションだと思っていたこともあった。つまりそれはノミニケーションといわれるものだった。それも若いうちはいいが、年齢を重ねるにつれて疲れを感じるようになってきた。
職場仲間で飲むとついつい仕事上での愚痴や時には説教のようなものが出てきたりするものだ。すると、うまいはずの酒も味気なくなってしまうかも。
そもそも、人によっては飲む場があまり好まない人もいるだろう。しかし、その飲んでいるときの楽しい部分だけを取り出せるのが「偏愛マップ」だという。
ここには、偏愛マップを使ったセミナーの参加者の感想では、「他の人と会話をしていく中で、自分の好きなものを思い出せた」というのもあった。さらに、今まで気づかない自分に気づければもうけものだな。

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偏愛マップ健康法と名付けたいくらい・・・
偏愛マップ齋藤孝著より。
おいおい、そこまで言えるか、という気にもなってしまう。いったいどうしてこのマップと健康とが関係があるのだろうか。これは齋藤氏の述べていたことではない。
実はこのフレーズはこの本の解説の部分で「偏愛マップに寄せて」と題して辛酸なめ子さんが書いていた部分にあったものだ。
まず、彼女は自分が友だちができない理由が、自分が何を好きだということを周りの人に言ってこなかったことだと感じていた。恥ずかしがり屋なのだろう。
もし、偏愛マップがあれば、趣味を公開して人間関係の幅が広がって、敵さえも味方に変えられそうだと感じていた。
そこで、実際に彼女はこの偏愛マップに記入してみたのだ。すると書いているうちにだんだんテンションが上がってきたという。思ったより好きなものがたくさんあったことに気づけたようだ。さらには人生捨てたものではないと感じている。
そして結果的に、血行もよくなり、気分もすっきりして、癒し効果がもたらされたと実感している。それなら確かに健康法といってもいいのかもしれないな。
そこで、私もこの文庫本の白紙のページに好きなもの(だったものも含めて)書き出してみた。すぐさま1ページが書ききれないほどになってしまった・・・。やはり頭で考えるより、ペンを持って書き出してみる方が面白い!(忘れていたこと、きっと思い出す)
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高い年収で、満足は買えるが幸せは買えない。
朝日新聞、朝刊」2010.10.29付けより。
科学面での記事にあったワンフレーズだった。プリンストン大のダニエル・カーマン名誉教授(’02年にノーベル経済学賞を受賞)らが米国の45万人を対象に調査し次のような結論を出していた。
日々の幸福感に関する調査だったが、世帯年収が上がれば幸せ感は高まるものの、それも年収が7万5千ドル(610万円)を超えれば、ほぼ頭打ちになるらしい。
ということは何でも買うことができる億万長者だからと言って、必ずしも幸せ感が高いというものでもないようだ。
また高年収の人には、小さな喜びを十分に味わえない可能性もあるらしい。お金さえあれば、どんなものでも当たり前だと思ってしまうのだろうか。一般人としては、ちょっとしたことでもうれしくなることはあるものだが。
年収以外で、幸福度が低い場合は、不健康、孤独、喫煙者などがあるらしい。またちょっと面白いのは、高齢者はストレスが少なく、信仰心があつい人は幸福だという。
これはあくまでアメリカでの調査結果だが、日本の場合だったら年収がどれほどで幸福感は頭打ちなのだろう。いずれにしても、ストレスを感じない時は確かに幸せだともいえそうだ。