人がアンテナをどの方向に向けるかで、アンテナの感度は変わってくる

朝日新聞」土曜版、2010.10.23付けより。
これは「99歳私の証 あるがまま行く」という日野原重明先生の連載コラムの中のワンフレーズだった。今月10月4日に99歳の誕生日を迎えていた。
それにしても、元気に活動され、いろいろと素晴らしい意見を書かれている。しかもどれも新鮮で豊富な経験を語っている。実に教えられることが多い。ここでのタイトルは“受容体の大切さ”となっていた。
ふだんあまり聞き慣れない言葉だ。これをウェブの辞書で引くと次のように出ている。「《receptor》細胞表面にあり、細胞外の物質や光を選択的に受容する物質の総称。」ちょっと難しい。
そして日野原氏は、このレセプターが人より多いのではないかと感じていた。つまり、様々な事象を見聞きすると、表面上のことだけではなく、その裏に隠された意味合いまで考えずにはいられないという。
好奇心が旺盛な人なのだろう。ここには98歳で俳句を始めたとも述べられていた。日々新しいこ出会いを経験して刺激を受けることも大事なようだ。何よりも「邂逅(巡り合い)」という言葉に非常に関心があるという。全く年齢を感じさせない。むしろ並みの大人より実に若い感性だと驚かされる。

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今、50代以上の年配者が映画館の観客層の中心になっている。
朝日新聞」2010.10.23付けより。
文化面では現在TOHOシネマズで行われれいる、「午前十時の映画祭」についての記事があった。この映画祭では、一年間にわたり、毎週異なる50〜70年代の名作洋画を上映しているものだった。
私も地元の映画館で時どきこの企画の作品を観ている。わざわざレンタルショップでDVDを借りるよりお手軽でが大画面で見られるのがうれしい。
人から聞いて観たかった作品も上映されたので嬉しかった。午前10時からの1回だけだが、ゆっくり観られる。しかも数十年前の作品ばかりだから、観客も年配者が多い。だから50代以上なのだろう。
この企画では年間動員目標が五十万人のところ、半分が終了した7月時点で約30万人で、70万人に達する可能性もあるらしい。かつて観そこなった作品ももう一度映画館で観られるのはありがたい。
今月観たのは、スピルバーグ知名度がまだなかったころの『激突』だった。春頃、人から勧められた『ショーシャンクの空に』は感動した。若いころのモーガン・フリーマンも印象的。しかも、来年はまた別の50作品の上映もされるようだ。楽しみだ。

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コミュニケーションが苦手な人間にアンテナと武器を与える。
偏愛マップ齋藤孝著より。
つまりこれが偏愛マップなのだった。このあまりなじみのない「偏愛マップ」とは、自分が偏って愛するものを一枚の紙に書き込んだマップのことだった。
ちょっと好きなものではないところがポイントのようだ。自分の関心が強いものは何だろうかと考える機会でもある。ここには当然個性が表れるはずだ。
ふだんの付き合いでも、相手がどんなことに関心があるのかは、黙っていたらなかなか分からないものだ。そして、コミュニケーションを考えた場合に、このマップを見せ合うことで一気に気持ちが通じ合うらしい。
たとえば合コンなら、自分も関心があり相手も喜んで話したいネタがそれによって一瞬で提供できてしまう、という。齋藤氏が実際それを企画したら、思いのほか盛り上がったそうだ。話し足りずに二次会にまでもつれ込んだという。
自分が偏愛するものを書きだすということは、人に話したいことの棚卸しともいえそうだ。自分でも実際にいろいろと書き出してみると、忘れていたことも思いだしてくるものだ。これがあればなんだか自然にコミュニケーションもうまくいきそうな気もしてくる。

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ほんとうにセンスのいい人であれば、それほどお金をかけなくともひじょうに高級に見える。
偏愛マップ齋藤孝著より。
偏愛マップの先生にたいな人だと、筆者がいうのは作家の向田邦子(1929−1981)さんだった。彼女の著作から、好きだったものをマップにしていくと、実にきちんと整理され、そのまますぐに役立つ生活カタログになりそうだという。
マップを作ってみて、はじめて現代女性に人気の秘密がわかったと述べている。つまりそこには今の若い人たちのライフスタイルのお手本のようなものが実に豊かに含まれていたからだった。
食器類なども自分で買うことで、だんだんと目利きになっていったようだ。身の回りにセンスのいいもの、質のいいものを配備して、生活を豊かにしたいということが、マップから見えてきたという。
衣食住、いい意味でこだわりがあったようだ。もちろん本当に好きな物には贅沢をしたようだが。それによって、さらにセンスが磨かれたのだろう。
偏愛するものの幅の広さがあった人だったようだ。身近なさまざまなものに関心がることもホームドラマ作家の条件なのだろうな。

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何々時代と名づける時代が自分の人生にはある。
偏愛マップ齋藤孝著より。
筆者の齋藤氏は奥さんに時々突っ込まれると語ってる。「昔さだまさしのレコード持ってたわよねー」と言われるらしい。何であんなのが好きだったんだろうという過去があるのも事実だ。
もう50年以上も生きていると、確かにかつて一時期だけ熱中したものはある。その時は一生それが好きかもしれないと思ったものでも、後から考えればほんの数年だったりもする。
私が高校時代だけ熱中したのは、海外文通だった。今の時代にはわざわざ手紙を書くことを趣味にする人はまれだろう。しかし当時はそのアナログがおもしろかったものだ。
また、自分が好きだったものを否定することは、新しい自分に生まれかわることでもあるという。つまり偏愛マップに断絶が生じることになる。時にはこの断絶がパワーになることもあるらしい。面白い現象でもあるな。
だからこそ、後で振り返れば、何であんなのが好きだったのだろうと、不思議に思えることもあるのだ。そういえば、初めて買ったレコードは藤圭子のLP(演歌)だったな。(むしろ娘の宇多田ヒカルより歌に味があったともえるが)

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