試合というのは、“できることを表現する場”・・・

「天才になる瞬間」齋藤孝著より。
この本のサブタイトルには次のように書かれていた。「自分の中の未知能力をスパークさせる方法」と。ここでのスパークとは最高の状態や結果そ出すことであるだろう。
プロ野球のキャンプについて述べられていた。そして、できることのレベルを高めるのが、このキャンプでのトレーニングだったのだ。というのもシーズンが始まってから、試合でレベルアップを図ろうとしてもそれは無茶なことらしい。
相撲の世界でも「3年先の稽古をしろ」と言われるそうだ。目先の白星に直結する小手先の練習ではなく、3年後に安定した強さを発揮できるように練習を積みなさいということだった。
ここではさらに、まったく別のたとえもあった。それはウィスキーで、これも仕込みの段階が勝負だった。5年後、10年後、さらにもっと先を考えて仕込まれるのだ。だから市場には熟成されたものが評価される。
さて、ここまで書いてきたら、日々の仕事の成果もまったく同様だと気づく。事前の段取りの良しあしで結果も異なるものだ。いかにいい準備ができているか、常に考えねば、と反省させられる・・・

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技術を超えた、“自分だけのスタイル”をモノにした・・・
「天才になる瞬間」齋藤孝著より。
美術史に名を残した天才画家、ゴッホのことだった。30代になったゴッホが大きな影響を受けたのが、日本の浮世絵だった。弟への手紙の中で、「色彩が、それ自体で、あるものを表現している」と述べていた。
そして、ゴッホはやがて色彩自体が自分の芸術を表現する方法を、手に入れている。さまざまな色の黄色で描かれた作品は多い。しかも絵具を厚く塗りこめるような大胆なマチュールだった。
それまではほかの画家が誰も試みなかった表現手法を手に入れたときがブレイクスルーのときだったのだ。ゴッホが描く絵は彼にしか描けない作品になっていた。
別に卓越した絵の技術がなかったが、自分独自の強烈なスタイルを手に入れたことで今もなお有名な画家なのだろう。たんに一見して技術的に上手いとかきれいな作品だという以上に、感動を与えてくれる。

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自分がたしかに力を発揮しているという手応えが、次の意欲を生む。
「天才になる瞬間」齋藤孝著より。
これは“おわりに”、の部分で筆者が心をこめて語っている部分でもあった。「力を発揮しているという手応え」とはどんな時だろうか。何かをして褒められたとき、努力していい結果が得られたとき、人に喜んでもらえたり、感動を与えられたときだろうか。
そして、そんな後にこそ、次の意欲が生まれるというが、それは納得できる。批判されるより褒められた時のほうが、やる気が出ることを考えれば分かりやすい。
「やる」と強く心に決めている人は、どうすればリスクを減らせるかを考え、逆にやる気のない人は、リスクを挙げて、動かずにすむ方向へ話を持っていこうとするらしい。
「できる人」には、「まあ、できるさ」というような気楽でポジティブが考え方が体全体から発散されているという。そんな自信はそれまでの経験がものをいっていることも考えられるが。
また、なるようにしかならない、と割り切ってしまえれば強いのだろうが、なかなかそんな境地になれないことのほうが多いかな・・・