日本は、世界でも稀に見る減点主義の国である。

「1分で大切なことを伝える技術」齋藤孝著より。
もし職場で、減点主義ばかりがあからさまだとすれば、積極的に仕事に向かおうという意識は薄れてしまうに違いない。たしかに、人の行いを見ていると、その人のいい点よりは悪いところのほうが目につきやすかったりもすものだ。
思いきってチャレンジしようと思っても、もし失敗して減点されるのでは、と考えると気持ちもなえてしまうだろう。かつては特にそんな傾向が強かったようだ。
しかし、最近ではそんな減点主義ばかりだと特に若者はつぶれてしまいやすいらしい。むしろ、「もっと励ましてもらいたい」、とか「やさしくコーチしてほしい」という思いのほうが圧倒的に強いという。
そういえば、最近ではコンプライアンスということもかなり強く言われているためか、ある枠内でしか、またかなり注意を配りながら仕事をせざるを得なくなっている。
なんだか、知らないうちにがんじがらめのなかで仕事をしている感じもするが。やはりやる気が出るのは、ちょっとでも褒められてその気になったときだろうなぁ・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「親しき仲にもお世辞あり」の精神・・・
「1分で大切なことを伝える技術」齋藤孝著より。
(前日のつづき)
ここでの、タイトルは「一日三分の“褒め時間”をつくれ」となっていた。ほとんど誰でも、人に褒められて嫌だと思う人はいないだろう。
当然ながら、うまくいっている人なら、既に誰かに褒められているかもしれない。だから、通り一遍の言葉ではその人の心には届かないかもしれない。
ということは、それなりにその人のいいところを見つけ表現できなければならない。そう考えると、褒めることはそうそうた易いことではないのかもしれない。しっかり見るべきところを見ているか。
齋藤氏は面白いことを提案している。一日に三人ずつ、最低でも1分だけ褒める時間を作ったらどうかという。実力を判断するというより、最初からこの人を褒めると決めてかかるのだった。
ということで、「一日三分の褒め時間」となっていたのだ。まだ人が気付かないところを褒めるというのもポイントのようだ。対象は褒められ慣れていない人などもいいようだ。
具体的には、褒めるところをメモしておいて、まだ開花していなくても、その人の持つ芽や種を見つけ出して、「いい花が咲きそうだ」でもいいらしい。とにかく褒めることを習慣づけねば、できないだだおうが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人は、お金は持っていても、使い方が見つからない人がほとんど・・・
「道楽のススメ」中谷彰宏著より。
まずは、道楽という言葉自体ふだんはほとんど使ったことはない。その言葉について、中谷氏は次のような解説をしていた。「どんなことでも、みずから楽しむ生き方。面白くない人生を、面白く生きる才能」と。
これは手元の辞書では、「本職以外のことに楽しみふけること」とあった。また、ウェブの国語辞典には、「1 本業以外のことに熱中して楽しむこと。趣味として楽しむこと。また、その楽しみ。「食い―」「着―」 2 酒色・ばくちなどにふけること。」ともある。
人生を面白く生きるためには、道楽は持っていたほうがいいようだ。趣味も何も持っていなければ退屈でしょうがないことだろう。この本の約半分は“お金道楽になろう”というテーマだった。それだけお金の使い方は難しいということかもしれない。
中谷氏は「使いたいモノが見つかったから使う」というのでは道楽ではないという。それはたんに商品の購入だった。道楽とは使うことが目的だったのだ。絵を描くことが好きな人は、描きたいものが見つかってから描くのではなく、その前に描きたいということが先にきていた。
中谷氏が本を書くのもそれが道楽だからだという。お金は使いたいモノが見つかったから使うのではなく、使うことを大前提にできれば、それが道楽ともなるのだった。