「好奇心」と「頑固さ」は自分の中の宝・・・

「男の顔は領収書」藤本義一著より。
藤本氏は十歳のころから映画の魅力にとりつかれ、多い年には一年で150本を観ていたという。その詳しい話を雑誌の随筆に書いたところ、あるTV局が映画紹介と解説の依頼にきたようだ。
しかし、藤本氏は断っていた。それは自分だけに大事にしておきたいものをTV局に売るわけにはいかなかったからだという。かたくなに自分を守るという姿勢を保ちたかったからだった。
つまりそれが氏にとっての好奇心と頑固さだったのだ。それを土壌としてその後の作家の世界に踏み込んでいったのだった。一生、好奇心と頑固さは自分の宝だと思っているようだ。
そのうち、映画を見る側を卒業して、創作する側にまわってみたいと思うようになっていた。すると今まで映画の世界に入って楽しんでいたものが、冷静な目で見なくてはならなくなってしまったという。しかし、映画の世界に入るのは容易ではなかったようだ。
その後猛烈な勢いで原稿用紙に向かい戯曲を書いて懸賞応募を繰り返して、かなりの金額を稼いだようだ。その時のライバルが後の井上ひさしさんだったことは有名な話だ。
藤本氏が文部大臣賞をもらったのは2万枚目の原稿だったという。好奇心と頑固さをどこまで続けられるかが、その後の成功につながるのだろうか。自分の宝といえるところがすごい。

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プロを意識した途端に、すべての物事に対して貪欲になる筈。
「男の顔は領収書」藤本義一著より。
プロというとすぐに、プロのスポーツ選手や作家を思い浮かべてしまうが、身近な誰もがプロを目指すことはできる。プロのサラリーマン、プロの学生、プロの主婦など。プロであることを自覚できればいいものだった。
プロを意識すれば、独自の工夫をして、さまざまなものを吸収しようとsるものだ。藤本氏の場合、プロを目指した頃には、すでに巨匠、大家と呼ばれている先輩シナリオライターの作品を踏み台にしていた。
まず、はじめの書きだしの1ページを丹念に読み返したのだ。そして次のページを読まないで自分で創作していったのだ。やはりプロはアマチュアが考えるような平板な発想ではないことに気づいたという。
当然ながら失意のドン底に突き落とされたようだが、ここで諦めてはいなかった。あくまでも挑戦を繰り返していた。他人から見れば一見無駄なような努力だった。しかし、この時期が一番大事だったと振り返っている。
サラリーマンなら、会社の業績や上司の批判をしただけではまだまだプロとは言えそうもない。自分の力を発揮しようと思わないうちは、とてもプロにはなれないのだろうな。

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自信さえつけば、人は行動する・・・
「ギフト〜E名言の世界〜」8月号より。
この週のテーマは「人材活用」だった。上記フレーズはアメリカの企業経営者ジャック・ウェルチの次の言葉の一部からだった。「人に自信を持たせることが、私にできる最も重要なことである。自信さえつけば、人は行動するからだ」。
最近では人材を活用する段階での前が最悪の状況だ。採用されない状態が問題になっている。景気の回復が遅れ、採用を控える会社が増えている。
とくに大学4年生にとっては深刻だ。
とりあえず、採用され人材となったあとのことを考えてみよう。はじめはどんな仕事も不慣れで自信など持てるものではない。また大きな別の仕事となると年齢に関係なくチャレンジということになる。
ウェルチ氏は、経営者としての立場から、社員に自信をつけさせることをまず大事なことだと考えていたようだ。その自信さえつけば、社員は自ら積極的に仕事に向かう(行動する)ことができるからだ。
ジャック・ウェルチ(1935〜)氏は1960年にゼネラル・エレクトリック社に入社している。'81年には会長兼CEOに就任していた。2001年に退任。強烈なリーダーシップでGEを導き「20世紀最高の経営者」と称されている。こんな人の言葉には説得力を感じる。

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自分の意見を自由にいえる環境というのは、人を育てます。
「ギフト〜E名言の世界〜」8月号より。
ここでのテーマが「人材活用」ということで、こう言っているのは前田晃伸(1945〜、企業経営者)だった。一般的にはなじみはないが、富士銀行副頭取を経て、みずほフィナンシャルグループの社長に就任している。会長を経て、'10年からは特別顧問だった。
さて、このフレーズの逆を考えてみるのは容易だ。つまり、意見が自由に言えないような職場環境では、人は育たないということになる。閉鎖的で風通りがよくない組織、となれば言いたいことも言えないだろう。
となれば、社員のいい点悪い点も表には出にくくなってしまう。せっかくの建設的な意見さえも、発言してもしょうがないという雰囲気になるのだろう。
また、言いたいことがあっても、それを発言する機会がなければその人間も育たないのだろう。コミュニケーションがよく出来る職場なら、人と意見交換することで、仕事のノウハウもつかめ効率的なこともあるだろう。

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私たちは、自然なしには生きることはできないが、同時に自然の破壊なしに生きることもできない。
「ギフト〜E名言の世界〜」8月号より。
この週のテーマは「地球」で、こう語っているのは、風間深志氏(1950〜、冒険家)だった。氏はバイクでキリマンジャロを登攀、エベレストでの最高高度樹立(6005m)、北極点と南極点の到達を成し遂げていた。またユーラシア大陸をスクーターで、オーストラリア大陸を自転車で走破していた。
こんな経歴からも、実にいろいろな仕方で冒険をしている人だ。その冒険から痛感したことが、上記フレーズのことだったのだろう。考えれば矛盾している。自然は大事だが、生きるためにはその破壊もしねばならないということになる。
もともと人間が生まれて生きることは、死に向かっていることだと考えれば、常に矛盾したなかに生きているかもしれない。生きるためにはまず食べる、それも自然界にある動植物を加工しているものだ。
また地球の過去の有限な資源である石油も常に使用し続けている。家を建築するなら森林を伐採し木材を調達し、また土地も整備せねばならない。日本は海に囲まれてはいるものの、常に安定した漁業が行われるとは限らない。こう考えると常に不安のなかに生きている感じがしてくる。