(絵は)それらしく描く技術よりも喜んで描く気持ちが大切・・・

「8万文字の絵」日比野克彦著より。
もう絵筆を握らなくなってかなりの年数が経ってしまった。絵は描いている時が一番楽しいものだ。時間をすっかり忘れてしまう。日比野さんは、絵が描けないと言う人は、「それらしく描かなくてはならない」という気持ちがあるからだという。
確かに見たままにうまく描けないとガッカリしてしまうことがよくあった。彼は、本物らしく描くことは、、描くことではなく写すこと、と言ってくれる。なんだか気が楽になりそうだ。自分なりの色や形で描ければそれでよかったのだ。
とくに幼い子供たちの絵には奔放さがあって楽しく感じられる。よく駅や町中にポスターとして壁に貼られている絵があるが、実に楽しい。ところが、大人になるにつれて絵は楽しさを失ってしまうようだ。やはり色や形にとらわれてしまうのだろう。
一見、きれいでうまいと思われる絵にも驚きや面白さは感じられない。やはり感動する作品には、その人らしさが表れているものだろう。感動するものほど印象に残りやすい。
日比野さんは経験から、こんなことも言っている。「一人で描いた絵より。大勢で描いたほうが驚き・発見がある」と。自分だけの世界だけでなく、全く違った人の感性も入るからだろう。楽しんで描かれた絵は見る方にも楽しいのだろうな。

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同じ風景、似たような生活スタイルの中では新しいものは生まれてこない。
「8万文字の絵」日比野克彦著より。
まずは、この“8万文字”というタイトルからしてユニークだ。つまりこれは400字詰めの原稿用紙にして200枚という量の一冊という意味だった。実際に8万文字が使われているどうかは分からないが。
日比野さんにはかつて、JRが新しく出来る駅ビルの壁面に絵を描くという企画の話があったそうだ。自治体は乗り気だったものの、JR側は難色を示したという。
それは、どこの駅も同一の外装デザインにしたい、この駅だけを「個性的」にするわけにはいかないということだった。そこで、感じたのが上記フレーズだった。
日比野さんは、均質さやズレのなさに息苦しく感じられてしかたなかったそうだ。やはりアーティストは、独自の世界の表現者だから規格の中だけの世界では面白味を感じられないだろう。
せっかくアーティストに作品を依頼するなら、見る人に「おやっ!JRもここまでやるか」を感じさせられなければもったいないとも思える。均一なものがいいのは、ユニフォームや百円ショップ程度で十分にも思えてきたな。

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これからやろうとしていることについて、アイウエオの五原則があるかどうか・・・
「男の顔は領収書」藤本義一著より。
これがいいかどうかは別として、面白くて参考になりそうだと思ったので記してみた次第。このような頭文字を使うものはこじつけと言ってしまえばそれまでだろうが、誰も思いつかないところがすごいものだ。
アはアイデアだった。自分の創った企画であるかどうかが大事だった。与えられた企画でも、自分がな得できるかどうかを考えるべきだった。
イはインタレストでこれからやるべきこと、今やっていることに興味を持つことができるかどうか。興味があればこそものごとに積極的になれるのだろう。
ウはウォークのことで、つまりそれは行動とイコールということだった。単に歩くということではなく自分の意志の判断に基づく行動をしているかどうかだった。行動するだけで思考停止では意味がない。
エはエキサイトだった。自分のやっていることに、燃えることができるかどうか。燃えるための第一条件は自信だという。「これはおれにしかできないことだ」というのは大きい。
オはちょっと難しいが、こじつけのようだがオーナーシップだという。つまりこれはオレがやったのだ、という自負のようなものだった。成功しても失敗しても、そこに責任をもつということだ大事だった。
藤本氏は、日常でなにか行おうとしるときに、いつもこのアイウエオ精神を自分で唱えて、確認しているという。やはりこのようなものを独自に考え出せるというのもすごい自信につながっているのだろうな。