まじめで才能のある選手ほど(中略・・・)、表舞台から消えていった

朝日新聞」2010.7.20付けより。
この日の「オピニオン」というコーナーは紙面の3分の2を費やして、「球児たちへ 野球を好きになる七つの道」と題して、現在評論家の桑田真澄さんが語っていた。毎年夏になると思いだすクワタは2人いた。桑田佳佑と桑田真澄だった。
ミュージシャンとして30年以上にわたってトップを走り続け、現役バリバリのサザンのメンバーはすごいものだ。ライブをすれば瞬く間に数万のチケットが売り切れてしまう。まだまだ50代、60代の現役アーティストは元気でトップを走っている。
さて、桑田真澄さんは高校時代から甲子園を沸かせた代表の一人だ。PL学園の全盛期には、何度か甲子園に足を運んでバックネット裏から観戦したものだった。その後、プロでの活躍も素晴らしかった。
そんな彼が現役時代を振り返って、練習時間が長すぎたと感じ、自らその短縮を監督に提案していたと語る。基本は短時間で効果的な練習をして、各自の課題や体調に応じて個人練習をしていたという。むしろ練習時間を増やすことでの弊害が多いことも指摘していた。
そこで、野球を好きになるポイントの一つは「練習時間を減らそう」だった。これは、昨年大学院で論文を書く際に、プロ野球選手270人にアンケートをした結果、高校時代の練習時間があまりにも長いことに驚いたからでもあった。要は集中力がどれだけ続くかの問題なのだろう。
上記フレーズのなかの中略部分(・・・)の部分には「指導者から支持されるままに頑張りすぎて、ケガをして」となっていた。練習を増やし過ぎると、動作が徐々にゆっくりになってしまい、その動きを脳が覚え、体に染みついてしまうそうだ。
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ミスをなくそうとムダな努力をするよりも、ミスから学ぶことのできる選手の方が、成長が早い。
朝日新聞」2010.7.20付けより。
ここでの冒頭に「野球はミスをするスポーツです。イチロー選手だって打席に立った半分以上はアウトになる」というのがあった。そう言えば、平均3割5分としても、6割5分は失敗ということになる。
いくら完璧だと思えるスイングでも投手からそれ以上のボールを投げられれば、凡打になる可能性の方が高い。チームプレーでは、お互いにミスを補い合いながら勝利を目指すしかない。
ミスをしたからといって、その選手を怒鳴りつけたり罰則を科すのは、あまり意味がないらしい。ミスをしたなら、どうして失敗したか考えるチャンスだととらえるべきだという。そして次にミスを減らす練習をすればいいだけのことだった。
一般の仕事や勉強にも同じことが言えそうだ。誰も完璧な人はいない。ミスをしてもそれを次の自分の課題および克服として意識できるかどうかがポイントだった。ここでのポイントは成長するためには「どんどんミスしよう」となっていた。
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バッテリーの配給だって、戦術だって、日本の方が進んでいる・・・
朝日新聞」2010.7.20付けより。
つまりそれは、米国のメジャーリーグと比較して、ということだった。野球発祥の地だから、アメリカのベースボールこそが、理想だと思うのは間違いらしい。
現在のメジャーリーグは多国籍で構成されている。ドミニカ共和国ベネズエラプエルトリコなどの選手が多いらしい。また最近では、日本の高校や大学のいい選手を米国のスカウトが調査をしに来ることも頻繁になっている。
日本でもアメリカでもドラフトで入団した選手がいきなりメジャーで活躍すると言うのは未知数だ。しかし、同じ“新人”なら既に日本でかなりの実績を上げた選手なら、貴重な即戦力としてある程度見込めるのだろう。
また、日本や韓国のプロ野球選手がメジャーに移籍して、いきなり活躍できるレベルまで来ている。人気の日本人選手がアメリカに移ってしまうのはさみしいが、そこで活躍する姿はまた日本人として嬉しいものがある。
桑田氏は、メジャーに行って、稼ぐためなら手段を選ばないということを実感したという。上手な選手も薬物に手を出していたことがわかったからだ。また、大事な野球道具を粗末に扱っていることにも失望したようだ。ここでのポイントは「米国を手本にしない」だった。
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「マラソン難民」という言葉も聞かれるようになっている。
朝日新聞」2010.7.20付けより。
“私の視点”というコラムの中で、マラソン雑誌の編集長樋口幸也さんが語っていたワンフレーズだった。すでにマラソンをやっている人なら、こんな言葉は珍しくなかったかもしれない。
この数年間で大衆マラソンが増えて来ている。ここでの冒頭にも「2011年秋から12年春にかけて、大阪、兵庫、京都で相次いで1万〜3万人規模のフルマラソン大会の開催が決まった」という。
また奈良では今年12月に平城遷都1300年を記念して、1万7千人規模の大会があるようだ。これらは、2007年から始まった東京マラソンの成功がきっかけらしい。開催すれば、地域経済への波及効果が期待できるらしいが、それがどんなものかなわからない。
ランニング人口は飛躍的に増えているため、申し込みと同時定員に達してしまい、走りたくても走れない「マラソン難民」が出て来てしまう。今年2月に開催された東京マラソンの定員は3万5千人だったが、なんと31万人の応募があったため、27万人が「マラソン難民」となってしまったわけだ。
今後、その難民の受け皿として、新たな関西で開催される大衆マラソン大会はいいのかもしれない。とはいっても抽選だろうが。昨年沖縄で開催されたNAHAマラソンでは3万人が走ったという。(私の甥っ子も完走したと年賀状に書いてあった。)それにしても、誰でも走る自信さえあれば、参加できるのがすごいもの。

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(包丁に限らず)道具というのは、使われて初めて意味がある。
「相鉄瓦版」2010.8月号より。
この号の特集は“「手仕事」名人の一品”となっていた。鍛造包丁の鍛冶職人高橋一郎さんが語っていたフレーズが上記のものだった。昭和8年生まれの高橋さんが刃物の世界に足を踏み入れたのは、中学を卒業した昭和24年だったというからもう60年以上の超ベテラン職人だとわかる。
ここで面白いのは、予想外の使われ方と想像以上の評価を受けていることだった。その一つ目は、「冷凍包丁」だった。初めからそういうものを作ろうと思ったわけでもなかったという。包丁を冷凍庫で冷やすと、冷凍した肉のかたまりが簡単に切ることができるからだった。
これも、お客さんから「こういう使い方をすると便利だよ」といって作り始めたと言う。つまり高橋さんの作る包丁は刃が丈夫だから冷凍食品も切ることができたのだ。硬い刃はまたピアノの鍵盤周りのフェルトを切る際にも便利だと言うので、「フェルト包丁」も作っていた。これもお客さんからの提案だった。
さらに、知り合いの肉屋さんから、「体に負担のかからない包丁を作ってほしいと」言われ、その専用の包丁を作ったのだ。すると「全く力を入れずに切れるよ」と言われ実際にそれを見た、高橋さん自身が驚いてしまったという。
たとえ予想外の使われ方をしようが、フレーズに挙げたように、「道具は使われて初めて意味がある」ということだった。確かに本来用途とは異なった使い方をして便利なものもあることは確かだ。創造は意外な想像から生まれることもあるのかな・・・

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分からないことに気づくことで、初めて職人として歩き始める・・・

「相鉄瓦版」2010.8月号より。
(前日のつづき)
一般的には、同じことを十年も続けてやっていれば、一人前と言われたりもする。高橋さんの包丁を作るという鍛冶職人の仕事も十年で一通りの技術や知識を身に見つけられる。
しかし、それで一人前かといえば、そうではないらしい。意外なことには、二十年目くらいから「分からなくなる」という。まだ十年目くらいでは、「自分はわかってない」ということすら分からないらしい。
実は「分からない」ということに気付くことが本物の職人のスタートだということになる。というのも、以前素材としての鉄を提供してくれている製鉄会社の人が、高橋さんが作った包丁を「どうしてここまで高い硬度の包丁が作れるのか」と驚いたからだった。
ところが、高橋さん自身も分からなかったのだ。機械やコンピューターの計算で作ったものではなく、経験や勘に頼って微妙な力加減で作っているから説明できなかったのだ。
60年以上やってきてもまだまだ分からないことがあるという。だからこそ楽しんでやれると感じているようだ。実にいい仕事と人生を歩んでいることを感じさせる言葉だった。

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伝統を継承しつつ、現代の人が振り向いて興味を持ってもらえるものを作り出していかなきゃいけない・・・
「相鉄瓦版」2010.8月号より。
ここでは、江戸独楽を65年以上にわたって作り続けている職人の広井政昭さんが取り上げられていた。この広井さんのことは、数年前にNHKの昼の番組で取り上げられていたので知っていた。
江戸独楽には独特の遊び心がつまっているようだ。独楽といって思いだすのは、子どもの頃に楽しんだコマ回しだが、この江戸独楽は創作独楽というユニークなものだった。形も色もさまざまで洗練されていいる。
独楽作りで4広井さんは代目だった。主に力を注いでやってきたのが「からくり独楽」という独自の仕掛けが工夫されたものだった。見ているだけで楽しくなるものだ。
そして自分独自の独楽の創作を始めると、コレクターからは「それは独楽じゃない」「間違った道だ」と批判されたこともあったという。その時便利だったのが“伝統”という言葉だった。
「わたしの創作じゃなく、父から習った伝統的な独楽です」といい加減なことをいうと、たいていみんな黙った、と今だから言える笑い話らしい。広井さんは「古いから良い」「伝統だから正しい」というものおかしいと感じているようだ。
むしろ現代の人にも興味を持ってもらうことも大事なことだと感じている。その証拠はパリ装飾芸術美術館に招かれ、自作の独楽を70点ほど持参した時のエピソードが語られていた。
伝統的な独楽のほうが評判がいいだろうと、自身思っていたそうだが、その美術館の館長は「あなたが創作した独楽だけ収蔵したい」と答えたという。要するに今という時代を表現した作品そこに価値があるということのようだ。
その言葉は広井さんに勇気を与えたようで、それまで以上に創作に力を注ぐようになったという。今まで数千種類のからくり独楽を作ったというから驚いてしまう。たとえば、独楽を回すとサムライがそばを食べたり、招き猫が手を動かすという。
しかも、それらには事前のデザイン画や設計図もなく、ぶっつけ本番で作ってしまうというからまたまた驚きだ。広井さんはこれを「手で考え、体に任せる」という。手で考え、勘を培うと、身に付いたものはずっと忘れないようだ。

広井さんの江戸独楽が紹介されているHPは下記をどうぞ。
http://www.fsinet.or.jp/~eohashi/e/edo.htm

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適度な危険は人生を豊かにする・・・
「ギフト〜E名言の世界〜」2010.7月号より。
冒険家チャールズ・リンドバーグの残した言葉だった。この部分の全文は次のようになっていた。「私は空と、飛ぶことを何よりも愛している。もちろん危険はある。しかし、適度な危険は人生を豊かにするのだ」
ということで、この日のテーマは「冒険」だった。冒険には当然ながら危険はつきものだ。“危険を冒す”という部分からも冒と険が含まれていることからも分かる。
フレーズでは「適度な危険」と言ってはいるが、実際はかなりリスクの高い冒険だったのだ。というのも、1919年に発表されたイベントはニューヨークとパリを無着陸で飛んだものに多額の賞金を出すというものだったからだ。
それまで、5800キロを飛んだものは誰もいなかった。人類が初めて経験する未知への挑戦だった。実際挑戦したものの失敗の連続で6人の死者が出ていた。
リンドバーグはエンジンも1つ、操縦も1人、パラシュートもなしというリスクの高い挑戦をしたのだ。飛び立ったのは1927年5月20日だった。前日からの不眠不休が40時間以上も続いていたのだ。
そして、ついに世界初の大西洋単独無着陸飛行に成功していた。費やした飛行時間は33時間30分だった。生死をかけた賭けに勝ったともいえそうだ。それに比べれば、私たちの日々は極めて安全で平和だとも思えてくるが。

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山を低くすることはできない。だから、自分を高めなければならない。
「ギフト〜E名言の世界〜」2010.7月号より。
アメリカの登山家、トッド・スキナーが残した言葉だった。このフレーズは短いが、いろいろなことを想像させてくれる。あるものに到達するためには、それに見合った自分を作り上げなければならないということだろう。
この講座の講師パルバースさんは、語学学習について次のようにも語っている。「語学をやさしくすることはできない。それを征服するには、自分が頑張るしかないのだ」と。
まさに自分の努力と根性を試されているような気もする。学生なら受験が思い当るだろう。また就活にもいえることだ。また社会人になってもそれぞれの目標に向かう時には同じような心構えが必要だろう。
別のページでは、ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリーは次の名言を残している。「征服するのは山ではない、我々自身だ」と。これも上記フレーズと似ている。