違和感を察知するセンサー<違和感センサー>は、誰もが本来、持って

「違和感のチカラ」齋藤孝著より。
このなかで、わざわざ「本来」という言葉が使われているのは、実際にはそれがうまく使われない場合があるかだろう。しかし、筆者は現代を生き抜く必須の感覚が違和感だという。
それは、現代社会が以前の時代に比べてリスクが非常に増えてきているからだった。情報があふれてくると何を信じていいのかもわからくなってしまう。
ケータイを持っていていれば、迷惑メールが着たりもする。パソコンを閲覧しているうちに、悪質なビジネスに出会う可能性もある。また自宅にはさまざまなところから売り込みの電話がかかってきたりもする。
また、かなり前からある振り込み詐欺の被害も止まらない。ますます手口が巧妙になっているのだろう。そこでは、いくら知識があるかというよりもむしろ、感覚を鋭敏にタフにしておかねばならない。
筆者はそれを「違和感センサーを磨く」と言う表現を用いていた。「なんか引っかかる」という違和感をしっかりつかんで、危険の匂いがすることを見逃さないようにしたいものだ。

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<気づかないふり>を続けると、気づけなくなる。
「違和感のチカラ」齋藤孝著より。
この部分を読んで、挨拶がまず頭に浮かぶ。朝、「おはようございます」という言葉がなんの抵抗もなく習慣としてできるならいいが、そうでない人もいるようだ。
べつに、そんな挨拶がなくても一日はスタートできるが、それが当たり前になってしまうとヘンだということにも気づかなくなってしまう。気づいていながらも、他人と出会ったときに即座に挨拶ができないと、ますます気づけなくなってしまうのだろう。
仕事でもそれはいえる。業績を上げるためには、それが必要だろうということはわかっていても、何となく過ごしているうちに、別に必要性も感じなくなってしまう。大事なことだという意識も薄れてしまうのだろう。
これはちょっとおかしい!ということに気づいたら、それをすぐに伝達できる職場環境が必要なのだろう。まあ、いいか、が当たり前になってしまうとますます違和感を感じなくなってしまう・・・かも。

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好みは千の嫌悪から生まれる。
「違和感のチカラ」齋藤孝著より。
これはフランスの文学者ポール・ヴァレリーの「好愛は千の嫌悪から成る」という言葉の応用のようだ。そもそも嫌悪は、その対象への関心がなければ起きない感情だろう。
たとえば、かつての総理大臣田中角栄や現在の小沢一郎氏のことを嫌いだという人も多いようだが、一方で彼らを強く支持し、尊敬する人たちも多くいる。他にはない何らかの魅力を感じて好きになっているのだろう。好きかどうかの前に心が動くかどうかということが初めにあるのだ。
芸術家の岡本太郎は、単に“きれい”と“美しい”のとは違うと述べていた。“美しい”には、何らかの驚きや感動が含まれているように思われる。そんな感覚とちょっと似ていそうだ。
ここに、齋藤氏の身近であったエピソードがあった。それは、教師の研究会のグループで何かと意見が対立する、男女の先生がいたという。ところがいつの間にかすっかり仲がよくなって、ついには結婚してしまったそうだ。
友達どうしや夫婦でも、よく「けんかするほど仲がいい」などという言葉もある。やはりそれなりの関心があるからこそ、けんかになるのかもしれない。まったく関心がないものには誰もが無視するだろう。
タレントの好感度調査がたまに新聞に掲載されるが、好きのほうにも、嫌いな方のランキングの上位にも名前が出てきたりする。それはある意味タレントとして成功しているのだろうな〜。

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違和感や嫌悪がたくさんあって初めて「これがいい!」という判断ができる。
「違和感のチカラ」齋藤孝著より。
つまり、消去法で嫌なものを消していけば、残ったものが実は好きだったのだという判断もつくというこのなのだろう。趣味、好みがない人には嫌いもないのだろう。
身近な例では同僚とランチに行く時がそうだ。「何にする?」に対して「何でもいい」という答えが多いが、それが一番困る。肉、天ぷら、魚、和食、洋食、カレー、ラーメン、日本そば、イタリアン、すし、中華・・・。
そして、「ラーメン」といえば、きのうそれ食べたから今日は避けたいとなるだろう。その選択に困ってしまう。まあ、迷うほどあればそれも贅沢なのかもしれないが。とにかく、あれとあれは今日は食べたくない、となれば絞りやすくなる。
さらに「これではない」、という選択肢をたくさん挙げられれば判断しやすくなる。齋藤氏は「優れた決断とは、百の違和感、千の違和感によってふるい落とされたときに、手元に残ったものなのではないか」と語っている。
初めは違和感があったものの、時間の経過とともにそれは薄れてしまう。違和感センサーが鈍くならないようにするためには、立ち止まって考えることも必要そうだ。これでいいのだろうか?と常に疑問を持ちたいもの。

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