設定した基準のレベルによって、到達する水準は当然異なってくる。

「一流を作る法則」齋藤孝著より。
ここで当然とすでに書いてある通りだが、意外に忘れやすいことだと思った。個人的にはついつい低い設定をしまいがちだ。今日はこのくらいにしておくか、などと。それは甘さかもしれないが。
それとは別に、ここにはわかりやすい具体例があった。たとえばそれはスポーツだった。決勝に出ることが目標のチームと優勝することが当然のチームが対戦すれば、技術のレベルが同程度であっても、、勝敗は後者に有利となるという。
やはりそれだけ意気込みが違うということだろう。高校野球を考えてみればわかりやすい。甲子園に出て優勝することが当然だと思っているチームと、甲子園に出場することがまず目的のチームとは気迫が違うかもしれない。
とは言っても、抽選の組み合わせによっては初めのうちに強豪同士のつぶしあいになってしまい、意外にノーマークで初出場校が初優勝ということもあり得たりする。何が起こるかわからいところにも観ている方は面白さを感じるものだ。
また、優勝しても当然だと思われているチームでもそのプレッシャーで負けてしまうこともある。かつて松坂大輔投手が甲子園に出場した頃の横浜高校は当然優勝と思われて、実際にその通り優勝していた。やはり別格の選手が揃っているチームの勢いはすごいものがあった。

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インドでは、一桁どうしどころか、二桁どうしのかけ算も暗記させるという。

「一流を作る法則」齋藤孝著より。
インドのITは優れていると言われるが、こんなことも行われていたのかと驚かされる。二桁どうしのかけ算を暗算であっさりとこなす人をいまだかつて見たこともない。
子どもの頃珠算塾に通っていたことがあるが、上級者になると頭の中にソロバンが入っている状態で、暗算でかなりの桁数の計算ができていた。
たまにテレビでもすごい暗算力の人を見かけるが神業としか見えない。それもびっくりするほどの速さで答えが出てしまう。電卓の達人の技、スピードも神業だ。
トレー二ングによって、こんなこともできる人間がいることにも驚かされる。同じような練習を繰り返せば誰にでも同じようなレベルに到達できるとは限らない。
そこにはやはり個人の能力、気力、根性がなければならない。熟達者のなかから、時に突出した者が出てくると考えたほうがよさそうだ。それにしても、インドの二桁かけ算は何歳ごろから始めるのだろうか。

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自分のスタイルを持たない画家というのは考えにくい。

「一流を作る法則」齋藤孝著より。
齋藤氏はスタイルを、“一貫した変形作用”とも説明しているが、それはちょっとなじみがない表現に思えた次第。またそれにカッコ書きでデフォルメとあったので、なんとなく理解できた。ある画家の作品を観てすぐにその作者の名前が思い浮かぶのは、独自のスタイルを確立できているからだ。作風ともいえよう。
一流のプロスポーツ選手も自分のスタイルを持っている。スタイルとはその人独自の型というようなものだろう。野球ならバッティングや投球のスタイルといったものだろう。バッターボックスに立った後ろ姿や投球フォームを一目見ただけですぐにその選手がわかるものだ。
一般の仕事でも、一流の人ならスタイルを持っているものだ。たとえば確立された営業のスタイルという表現も間違いではないだろう。それで優れた実績が残せるなら、その人らしい仕事の進め方という意味だ。
これが企業ならホンダとトヨタのスタイルは異なるともなるようだ。ホンダはエンジンをはじめ技術開発力に優れ、チャレンジし続けるスタイルを持っている。
これに対して、トヨタの得意技は総合的な安定性にあった。車の内装の充実やバランスのとれた車づくり、販売網や修理システムの整備が特徴だった。ホンダとトヨタのスタイルの対比はソニーパナソニックの対比と同じだともいえる。
一流とは関係ないかもしれないが、自分のライフスタイルも、変なクセではなくて、しっかりしたスタイルを確立できたらいいのだが・・・それによって健康的になったり不健康になったり・・・かも。

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「それはアマチャアの大会なんだから、お前は出てはならない。」

「一流を作る法則」齋藤孝著より。
将棋の世界は、信じられないほど完全な実力主義だと、齋藤氏は語っている。常に勝負を繰り返してその成績で昇級昇段が決まってしまうからだった。名人一人を頂点として、完全なピラミッド組織ができていた。
大相撲の世界も何勝何敗という成績が番付を決めていく実力の世界だが、横綱審議委員会のようなもので判断されることも多い。将棋はそれに比べてさらに厳格な競争世界なようだ。
さて、ここでのタイトルは「プロ意識が天才を磨く」となっていた。たとえ小学生でも強ければ、ちゃんと先生として尊敬されるのだ。本当のプロは四段からだが、師匠の内弟子になれば、プロの世界に小学生もなじむ。
フレーズにあげたものは、米長邦雄永世棋聖の元で、当時小学生だった先崎学(八段)が小学生の名人大会に出たいと言ったときに、言われたことだった。既にプロの棋士に弟子入りしたお前はもうプロなんだという意味だった。
小学生のときから徹底的にプロ意識を植え付ける教育方法だった。そういうプロセスを経て、子どもたちの才能は一層磨かれてゆくのだろう。といっても手取り足取りで教えるということもないらしい。結局は自ら学び続けられるかどうかの忍耐の世界なのだろう。