たった一つの共通項だけで出会うというところ・・・

「たんぽぽの日々」俵万智著より。
ここでの共通項とは、「子ども」だった。つまり同じ年に生まれた子どもの母親だったということだ。たまたま同い歳だったからというだけで知り合いになり、コミュニケーションが始まる。
もし、子どもという共通項がなければ、一生出会わなかった関係でもあるのだろう。俵さんはそういう、「たまたま」の出会いがまたおもしろいと感じていた。一緒に買い物に出かけ、ゴハンを食べ、自宅を行き来したりするようになる。
「子ども」と「地域」が共通してくると、話題はいくらでもでてくるようだ。同じような悩みを抱えているかもしれない。また、おしゃべりによってストレス解消というものその効果ともいえそうだ。
子育てでは、母親として先輩になる人もいるのだろう。そんな人の意見も参考になるのだろう。子育てという期間限定かもしれないが、子どもが運んできてくれた人間関係を楽しみたいと考えているようだ。
場合によっては、またそこから長い付き合いになるかもしれないし。子育てから人はなにか共通項があると、話が弾みやすいもなのだろう。オヤジたちにはあまり考えられないことだが。男女とも学生時代に出会った気の合ったの同級生は、最もお気楽な友と言えるだろうな。
ここでの短歌は次のものだった。「子の友のママが私の友となる粘土で作ったサンタのブーツ」
下の句の七七の部分は季節に関係なく、遊びや行事にまつわるようなどんな言葉がきてもいいのだろうが。



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夢の木の実。
「たんぽぽの日々」俵万智著より。
ここでの短歌は「ドラえもんのいないのび太と思うとき贈りたし君に夢の木の実を」だった。この歌を何の解説もなしに理解するのは難しそうだ。
ここにエッセイとしての解説があった。園に通うようになった息子さんは、俵さんに似て人一倍不器用らしく、スモックのボタンをはめるのにかなり時間がかかるようだった。
その幼い子は「ドラえもんがいたらなあ」と思うらしい。俵さんは、ボタンを上手にはめられるようになることも、子どもにとっては立派な夢だと感じていた。
「なれるように、がんばろう」と思いつづける力は、夢見る力だという。子どもには夢の木が実をつけるように頑張ってほしいと思っている。そんな気持ちを歌ったものだった。
この「夢の木の実」という表現自体は俵さんのオリジナルではなく、師の佐々木信綱の歌からのものだった。ここではそれについても触れていた。