「父の贈ったレイノーがシェフの作品の舞台となりました。」

「プレジデント」2010.3.29号より。
“人間邂逅”というグラビアページで目にしたフレーズだった。なぜかこの文学的表現が気になっていた。ここでのタイトルは「父子二代」となっていた。(いまキーボードでフシニダイと打って変換すると、ズバリ!漢字で父子二代と変換されたので驚いた次第。ちょっと嬉しい)
さて、この言葉はハウス食品社長の浦上博史さんが、シェ・イノのオーナーシェフ井上旭さんに対して語っている時の表現だった。作品とは当然ながら料理のことだ。しかもその作品を乗せる舞台としてレイノーを選び贈ってたということだった。
もともとは、浦上氏の父親が井上氏の料理に感動して、独立する際に約束して100枚のレイノーを贈ったということだ。実は、レイノーはフランスの高級陶磁器だったのだが、私はフランスと言えばガラス製品のバカラ、サンルイ、ラリックなどのメーカーは知っていたが陶磁器のレイノーについては知識がなかった。
それまでは、ヨーロッパの陶磁器と言えば、ウェッジウッド、マイセン、ロイヤルコペンハーゲンロイヤルドルトンなどがすぐに頭に浮かんできたものだ。レイノーについてウェブで検索すると、1849年の創業で高品質の陶磁器メーカーだということが確認できた。これでまた新しい知識を得られてトクをした感じがする。
作品と呼べるような料理は本当に価値のある食器によってより引き立てられるということだったのだろう。ついでながら、私の知り合いのある年配のご婦人は、かなり高級な食器類を日常から使用している。それは食器棚を飾るだけではもったいないということもでもあるらしいが、食器はどんどん使ってつかってこそその良さがわかるという考えでもあった。

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権力の源泉とは・・・
「プレジデント」2010.3.29号より。
“歴史に学ぶ仕事道”(作家守屋淳)というコラムのなかで、韓非子の権力の使い方について述べられていた。この中で初めて聞いた「権力の源泉」という面白い表現がちょっと気になった。
そして、この権力の源泉の定番には2つあった。それらは、1、武力、懲罰権。2、金。わかりやすく言えば、「殺しちゃうぞ」と「お金欲しいだろ/お金あげないぞ」という言葉が人には最も効く脅し文句だったのだ。
また組織ということを考えれば、もう一つ非常に大事な権力の源泉があった。それは3、人事権だ。会社なら「お前、左遷されたくなんだろ、だったらおとなしく仕事をしろ」という意味合いのことをほのめかすのだろう。
韓非子はこの3つの原理を巧みに操って権力維持を考えたという。さらに、あまり聞いたことのない「刑名参同」という賞罰の運用法を考えたようだ。つまり自己申告をさせて、実績がそれに伴うかどうかで判断するというこのだった。
現代行われた「成果主義」というものに近い。権力を握って命令ばかりすれば組織内では怨みをかってしまうことも多いに違いない。つまりそれは負のエネルギーと考えられる。
そこで、そこに「法」や「刑名参同」というルールを挟んでみると、「ルールだから仕方ない」「自分が申告した目標だから自業自得」となって権力者は負のエネルギーから実をかわせると考えたようだ。
実際に組織に属していれば、「ルールだから仕方がない」「決まったことだからそれに従うしかない」というようなことがある。ここで問題なのは、そのルールや決まりごと自体にしばしば大きな欠陥がある場合があることだ。しかし、それを質そうと思っても(権力がなければ)それがなかなか難しい・・・

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コンビニにおける「強さ」をつくるには3つの条件がある。

「プレジデント」2010.3.29号より。
この号の特集は「なぜ、この商品、サービスを選ぶのか?」となっていて、サブタイトルとして“消費者1000人の本音を心理分析!”とあった。ちょっと興味深いものだ。そこでは顧客支持率ランキングのようなものがあった。
コンビニのところで、最も好きなブランドランキングがあり、1000人のうち461人がセブンイレブンを選んでいた。当然ダントツの一位だった。二位には211人のファミリーマート。三位は203人、ローソンだった。
場合によっては、店舗数の多さにも関係あるのかもしれないが、コンビニの強さをつくる3つの条件だった「味と品揃えと立地」のどれをとってもセブンが支持をされていた。セブンはいち早く地域の一等地に目をつけて加盟を求めている。
コンビニはわざわざ遠くに行かなくても、消費者が無意識のうちに生活の動線となっているところに出店していることが必要だった。しかも夜中にも弁当やおにぎりが売れることを説いて回ったという。それは1970年代のことだった。その結果一号店からわずか6年で1000店舗に達していた。
アンケート結果として、ここにいくつか消費者の最も好きなコンビニについて集計があったが、先ほどの3つで1000人中、875人という数字になっていた。私の自宅から徒歩5分以内の場所にはコンビニはなかった・・・残念・・・ちょっと不便かも。

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1000のアイデアのうち店頭に並ぶのはわずか三つという。

「プレジデント」2010.3.29号より。
(前日のつづき)
セブンイレブンの優れた点について述べられた点の一つは、小売業の生命線である立地についていち早く交渉し、出店を進めてきたことがあげられた。さらに二つ目として、オリジナル商品開発があった。商品の企画開発をしているのは、ほかのコンビニでも当然ながらやっていることだが、競合店に比べてセブンではそれを10倍以上の手間暇をかけているという。それはメーカー担当者の話を総合するとわかるそうだ。
つまり1000のアイデアがあったとして、店頭に並ぶのはわずか三つ程度だということからもわかる。そのぶん厳しい企画審査が行われているのだろう。顧客のニーズに近づくばかりでなく、顧客が気付いてない新市場の創造に力を注いでいるということだった。
またセブンの三つ目の優れた点は、超徹底された「QSC」だという。それらは商品の質(クオリティー)、接客(サービス)、清潔さ(クリーンネス)のことだった。
それらのうち特筆すべきは清潔さの徹底らしい。清掃は自店の前だけでなく、店頭の前後10メートルまで清掃しているようだ。こんなことからも地域社会との共生も感じられる。結果的にセブンがダントツだった顧客満足度は、外側から見える部分だけでなく、立地の選定、商品開発、地域との関係など地道な活動の成果なのだろう。

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味、店の雰囲気でスターバックスが低価格に打ち勝つ。
「プレジデント」2010.3.29号より。
ここではコーヒーチェーンでの“最も好きなブランドランキング”というものがあった。これも1000人を対象としたアンケートからの集計だった。ベスト3はスターバックスドトールサンマルクカフェとなっていた。
集計人数でいえば、スタバ、455人、ドトール、282人、サンマルク71人となっていた。これでいかにスタバの人気が高いかがわかる。しかし、値段ではドトールのほうが勝っていた。スタバは味と雰囲気の点で勝っていたのだ。
たまたま上記3つのチェーン店は私の住む最寄り駅にもあって、たまに立ち寄ることがある。スタバで個人的にいいと思うのは、タバコを吸わないせいか、店内全面が禁煙になっていることだ。他の店は分煙となってはいるが、どうしても煙は流れてくる。
スタバではいいコーヒーの香り、座りやすい椅子、ソファ、ほどよいBGM、店内禁煙など空間演出の付加価値をつけたところに支持されている理由がありそうだ。別に喉が渇いたからとか、コーヒーを飲むことが目的でその店に行くわけではない。
むしろリラックスできる空間が欲しいと思って店に入ることがほとんどだ。だから多少お金を払っても長居がしやすい店を選んでしまうのかも。仕事の途中ではマクドナルド、ベローチェ、プロント、サブウェイなどもよく立ち寄るチェーン店だ。

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いつかは、この子も、この綿毛のように飛んでゆく。
「たんぽぽの日々」俵万智著より。
この本は、短歌とそれにまつわるエッセイと写真からなっている。写真はその歌に相応しいものが女性写真家によって撮られている。この本のタイトルは「たんぽぽの日々」でサブタイトルには“俵万智の子育て歌集”とある。
ここでの短歌は、
「たんぽぽの綿毛を吹いてみせてやるいつかはおまえも飛んでゆくから」
だった。この歌集のメインテーマになっているものだろう。子どもを育てている過程だからこそ気づくことがある。
これはその代表的なものだ。幼い息子と隅田川ぞいの公園に散歩した時のことを歌っている。春の散歩の時に、綿毛になったたんぽぽを吹いて飛ばしているときに感じたことだった。黄色い花から綿毛に変化して離れていく。飛んでゆくまでの時間は限られている。
たんぽぽの綿毛が子どもたちに見えたのだ。俵さんも自身がたんぽぽの母親と同じだと感じている。今は一緒だが、やがて子どもも、成長して親離れしていく。こんな感情も幼い子どもがいなければ、たんぽぽの綿毛を見てもきっと気づかなかったに違いない。

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「自分の時間」という宝物・・・
「たんぽぽの日々」俵万智著より。
子どもが生まれてからよく「自分の時間がほしくありませんか?」と聞かれたという。俵さんは正直に語っていた。「好きなだけ寝たい」「ゆっくり本が読みたい」「芝居を見にいきたい」「外でお酒を飲みたい」切りがない。
しかし、もし悪魔が取引にやってきて、「そういう時間をいやというほどあげますから、あなたの子どもをください」と言われたら、答えは即座にNOとなる。これはどんな親だってそうだろう。
自分の時間のつかいみちとして、子どもと過ごすことを選んでいるのだ。後から考えれば、子どもの時期はそれほど長くはない。つまりそれも限られた時間で、「たんぽぽの日々」と考えているようだ。
俵さんは、親しい友人に「仕事はやりがいはあっても、それには代わりをしてくれる人がいる。子どもにとっての母親は世界中で自分だけ。自分にしかできないことという意味では自己実現」だと言ってきたようだ。
さらに、子どもだって成長すれば、自分の自己実現に向かって生きていくということだった。俵さんは、むしろなんてことのない時間を宝物に変えてくれるものが子どもだと気づいている。そうそう、ここでの歌は次のものだった。「自分の時間ほしくないかと問われれば自分の時間をこの子と過ごす」だった。

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たった一つの共通項だけで出会う・・・
「たんぽぽの日々」俵万智著より。