魅力を作っているのは〈初心〉というもの。

「逆境を生きる」城山三郎著より。
魅力とは何かについて触れていた。簡単には説明できないものだが、これを逆に〈魅力がない〉とはどういうことかから考えれば、わかりやすいと述べていた。
つまり、それは型にはまった人だという。つまりその他大勢ということでもあろう。また城山さんは、型にはまるということを、〈椅子〉にもたとえていた。その椅子とは、地位、ポジションという意味でもあった。
会社では平社員は小さな椅子に座り、役職が上になるにつれて、大きくなる。当然ながら社長は最も大きい椅子に座ることになるが、態度もその椅子の大きさに従って尊大になる傾向がある。しかし、こんな風に椅子に支配されてしまう人間ほど魅力がないと指摘している。
また、別のページではラスベガスでサミー・デイヴィスJrの舞台を見たときの印象についても語っていた。彼は黒人で背の低い歌手だった。いたって小柄、貧相、顔もよくないときている。しかし、アメリカのショービジネス界ではトップクラスのタレントだった。
城山さんは、舞台を見ていて司会者とのやり取りで、笑いがものすごく新鮮だと感じていた。同じ劇場で何日もやっていても「今日初めてやっているんだ」というニュアンスを客に与えようとしていた。芸人は毎日やっていても、客は初めて見る人のほうが多い。
そして、わざわざ来てくれた客を笑わせよう、楽しませようと懸命に芸を披露していたのだ。よく見るとたっぷりと汗を流していたという。こんなことからも、自分もただ惰性だけで仕事をやっていることの方が多そうだなと反省させられた次第。

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「智、根、運」あるいは「智、運、命」
「逆境を生きる」城山三郎著より。
(前日のつづき)
ここでは御木本幸吉を引き合いに出していた。上記は、御木本幸吉が、色紙を頼まれた時に書いていた言葉だった。しかも、「Knowledge,luck,long lofe」という英語まで付けていたという。いずれにしても、「智」というものを重く見ていたのだ。
彼は、汽車に乗るとき決して二等車には乗らず、一等か三等に決めていたようだ。それは、当時の一等車なら、政財界の大物と乗り合わせる可能性があり、三等車なら庶民が乗ってくるため、大衆と肌で接していろいろな話が聞けたからだった。
貪欲に新しい知識を求めてやまなかったのだ。正規の教育を受けていなかったが、講演会があればその分自ら熱心に聴きに行き、最前列に座り自己紹介をして、質問をしたそうだ。
御木本は受信する能力も発信する能力も長けていた。成功した後も終生、好奇心のかたまりで、あらゆる機会を捉えて受信、吸収して自らの糧としていたそうだ。この姿勢が日本が世界に誇れるブランド「ミキモト」が出来上がる始まりだったのかな。

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人は、その性格に合った事件にしか出会わない。

「逆境を生きる」城山三郎著より。
この言葉は懐かしく感じられた。もう30年ほど前に、ラジオで城山(三郎)さんの講演会を聞いていたとき、渋沢栄一の話がでてきて、そのなかで語られていたことを思い出したからだ。
実に短くて印象深いフレーズだった。渋沢は前日触れた御木本幸吉がずっと意識していた大先輩だった。
御木本は渋沢が九十過ぎまで長寿を保ったから、自分も長生きすれば少しでも渋沢に追いつけるかもしれないと願って、実際九十六まで生きている。さて、渋沢は日本最大の経済人で、近代日本の指導者の一人だった。
もともとは埼玉県の山奥のお百姓の出身で、あの時代ではまったく出世できるはずのない生い立ちだった。明治時代の出世コースは薩長土肥の出身者、しかも侍あがりで固められていたのだ。
城山さんは、渋沢が近代日本の代表的な指導者にまでなったのは、彼の受信機能の良さのせいだと考えていた。どんな人からもさまざまな知識を吸収しようと努めていたのだ。
上記のフレーズは、文芸評論家の小林秀雄さんが書いていたことだった。つまり、そういう性格だから、そういう事件にあったのだという。事件が性格を作るのではなく、性格が事件に遭遇させてしまうと考えたのだ。
ここでは、その例として渋沢栄一を城山さんはあげていた。渋沢は先ほども触れたように、どんな環境でも吸収魔といわれるくらいに勉強を重ねてきた結果として、日本最大の経済人とまで呼ばれるようになったのだろう。

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セルフ、インティマシー、アチーブメント。

「逆境を生きる」城山三郎著より。
これらは、人間を支える三本の柱でもあった。城山さんは、ニューヨークに住んでいるある日本人の精神科医からこのことを聞かされたそうだ。この人は日米のビジネスマンや家族の精神的破滅を見ているうちにこの三つの柱が必要だと指摘していた。
セルフとは自分だけの世界だった。たとえば読書、音楽鑑賞、絵画、書など個人だけで完結する世界で趣味的なものだった。人に邪魔されない時間や世界もいいものだ。
またインティマシーとは、親近性と言う意味で、親しい人たちとの関係、友人、家族、地域の仲間たちによって人は支えられているということだった。親しい人が身近にいれば心も安らげるか。
アチーブメントとは、達成のことだった。つまり仕事でも趣味でも目標を立ててやり遂げることも大切なことで、それがまた生きがいにもつながっていた。はじめから全く不可能な目標では無意味だろうが。
もし「セルフ、インティマシー、アチーブメント」のうち、一本の柱しか持っていなければ、強く生きることは難しいようだ。理想的には三本の柱をバランスよく太く、充実させておくことなのだろうが・・・