腹八分目ではなく、ときには、満腹するまで遊んでみる。

「遊びは知的でなくてはならない」日下公人著より。
この本のサブタイトルには、“仕事と人生を豊かにするために”とあった。遊びが充実してこそ、仕事にも打ち込めるというテーマに思えた。またその逆のことも言えるのだろう。
もし接待で遊べたとしても、それは経費を使っているわけで、それではほんとうの“遊び心”は芽生えないというような意味のことも日下さんは言っている。当然遊びはすべて自腹でやってこそ満喫できるものだ。
また、仕事にしても遊びにしても、いつも腹八分目のままだと、その八分目が、その人間のキャパシティになってしまうという部分にも共感できた。「よく遊び、よく学べ」というのとちょっと似ている。
そして、徹底的にやることで頭は切り換わり、人間の幅も拡がっていくようだ。振り返ってみれば、仕事も遊びも120%満腹するまでやったことなどいつのことだったろうか・・・
ある経営者は「朝っぱらから元気のいいヤツなんて、もっとも仕事をしていないヤツ。むしろ二日酔いで青い顔をしているような人間のほうが、よっぽど有能な人材だ」と言っているとか。う〜む、わかるような、わからないような・・・

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“感動する心”はそのまま“遊び心”に通じている・・・

「遊びは知的でなくてはならない」日下公人著より。
遊びと言って、具体的に何かをしなければならないというものではなくて、日常の生活のなかで面白さを発見して、心を動かしている人はきっと新鮮な感動を胸に秘めているだろうという。つまりいろいろなものに好奇心を持っていることが、遊びにも通じることでもあった。逆に固定観念に固まって、無感動では遊び心がないとも言える。
ここで面白いエピソードが2つほど語られていた。まずは、アメリカのフォード車の社長の話だ。第二次世界大戦後のこと。当時の社長は完成したばかりの新車を見たとき、かなりの出来栄えに満足はしたが、車のドアを閉めた時の音が、ペシャンと、ブリキのような安っぽい音だったらしい。
その音が気に入らないと、その新車を改良するように命じたのだった。やはりその車にはそれなりのステイタスを感じさせることが必要だと思ったのだろう。このこだわりこそ、フォードの社長の“遊び心”でもあったのだ。
2つ目は、筆者自身のエピソードだった。かつてパリに行った際に、C・ディオールの店で高級カバンを買った時のことだった。その店の店員さんは「このカバンはほかのものとちがいます」と言ったそうだ。どこがちがうのかというと、カバンの口金の音がちがっていたのだ。それはきわめていい音に聞こえたのだった。本来の機能とは別の部分の価値を提示したのだった。堅牢さでもデザインでもなかった。やはり音へのこだわりは遊び心に通じているのだろう。
日下さんは、そんな経験からも“遊びの発想”の世界を知ることができたようだ、と語っている。日々の生活の中で、ちょっとした感動を味わったり、こだわりを持ってみるというのも忘れたくないものだな。と、そんなことを書きながら、車のハンドルにもブレーキにも、自転車のチェーンにも遊びがあるからこそ安全に運転できるのか、などと関係ないことを思い出してしまった・・・。ま、そこそこ心の余裕がなければ遊び心も芽生えないか・・・な。


(蛇足)12日のウェブニュースのコピー。
フォードが2冠=北米最優秀車賞
1月12日0時1分配信 時事通信
 【デトロイト時事】11日開幕した北米国際自動車ショーで、2010年の北米最優秀車賞が発表され、乗用車部門の「カー・オブ・ザ・イヤー」に米フォード・モーターの中型ハイブリッド車(HV)「フュージョン」、小型トラック部門の「トラック・オブ・ザ・イヤー」には同社の「トランジット・コネクト」がそれぞれ選ばれた。
 乗用車部門では米ゼネラル・モーターズGM)の「ビュイックラクロス」と、独フォルクスワーゲンVW)の「ゴルフ」が、小型トラック部門では富士重工業のレガシーのスポーツ用多目的車(SUV)「アウトバック」と、GMSUV「シボレー・エクイノックス」がそれぞれ最終候補に残ったものの、両部門ともフォード車が受賞した。 

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「〜のため」になった時、」遊びは遊びでなくなる。
「遊びは知的でなくてはならない」日下公人著より。

日下さんは、仕事がら講演会であちこちに出かけるが、その目的地には約束の2時間ほど前に着いて街をブラブラ歩くのが好きらしい。そのブラブラ歩きこそが“遊び”になっていた。
ある地方都市に行った時、タクシーに乗り込んだ際、その街で一番値段の高い喫茶店はどこかと聞いて行ったという。五千円のコーヒーを出す店に入ってみて、ボーイさんとの会話も楽しんでいる。
注文したのは300円のコーヒーだったようだが。もちろん情報を仕入れるのが目的ではない。どんな雰囲気の店かというのも興味深かったのだろう。
そこがポイントだろう。遊びには、目的などないほうがいいようだ。無目的だからこそ、遊びを満喫できる。自然に耳や目に入ってくる情報こそが面白いのだ。
健康のために、水泳、散歩をするということなら、十分に楽しめない。またパソコンに凝っている、と言っても仕事の整理や情報の収集では本来の遊びとは言えない。
パソコンも文房具の一つとして使いこなした方が遊べる。また、このように日記(ブログ)を書いたり、そこで交流できたりするのも完全な遊びになっている。