じつは〈自力〉と見える努力も、本当は〈他力〉の働きではないのでし

「他力」五木寛之著より。
五木さんは、他力ということを説明する際に、ヨットの話をすることがあるそうだ。エンジンのついていないヨットは、まったくの無風状態であれば進まない。どんなに頑張っても風が吹かなければお手上げ状態になってしまう。
同様に、日常生活にも他力の風がなければ、思う通りにはいかない。うまくいっている時はなかなかそれに気がつかないものだ。ヨットでは、風が吹いてきたときに居眠りをしていたら、走る機会も逃してしまう。だから、たとえ無風状態でも、空模様を眺めて風を待つ努力も必要だという。
一見その努力は自力のようにも思えるが、それも他力の働きだというのが、五木さんの考えだった。つまり、無風でもじっと風を待ち、いつでも風に応ずる緊張感や努力をヨットマンに与え、「いつかは風は吹く」とくじけない信念を持続させるものこそ、〈他力〉の働きだと思うようになったようだ。これはある意味悟りともいえそうだ。
よく、「人事をつくして天命を待つ」と言われるが、この「天命」を「他力」という意味に受け取っていたのだ。何事も自力でやり遂げたかのように思えても、それは他力の後押しがあったからだったのかも。ということは、他力が得られるほどの努力は常に必要だということになるかな。単なるラッキーはありえないか・・・

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〈他力の風〉が吹いてきたとき・・・

「他力」五木寛之著より。
前日は、他力の風が吹くのは人事をつくした後だと書いていた。それにしても、ごくたまにはものごとが思った以上にうまく運ぶ時があったりもする。
たとえば、人によっては特に健康に気をつけているわけではないのに体調も悪くならない人も多い。タバコには害があるとは言われながらも、毎日数十本もタバコを吸いながらも病気にならない人もいる。
また、いくら健康に気をつけても病気は向こうからやってきたりもする。身体にいいからとどんなに努力しようとしても、長続きしないしないこともしばしばだ。
ところが、逆にあとで振り返って、どうしてあの時はあれだけ頑張れたのだろうと思うこともある。五木さんは、気持ちが充実してやる気が出る時は、〈他力」の風が吹いてきたときだという。
決断、勇気、努力、持続する力などが、自分で感心するくらいの時には、〈他力の光〉がさした時ではないかと感じているようだ。
五木さんは、別のページでも「自立の勇気をもたらしてくれる見えない力が、〈他力〉と繰り返し述べていた。うまくいっている、つまり他力の風が吹いてきたとき時には、〈他力〉に感謝すべき時なのだろうな。


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「難しいことをやさしく」「やさしいことをふかく」「ふかいことをひろく」
「他力」五木寛之著より。
五木さんには「蓮如」という著書もあるが、彼ほど他力を生き生きと生きた人物は珍しいと語っている。法然は難しい往生の修業を「やさしく」行うことを説いていた。そして、親鸞の仕事はやさしく説いた往生の道を、より「ふかく」極めたことだった。さらに、蓮如親鸞が「ふかく」究めた信仰を「ひろく」人々に手渡そうと生涯を賭けたという。
これらの「やさしく」、「ふかく」、「ひろく」という3つの大きな働きで、日本仏教は日本人の心に長く定着したようだ。ここまで、書いてきたら、似たような言葉をどこかで読んだことを思い出した。
それは、永六輔さんの言葉からだった。以前『人を10分ひきつける話す力』(齋藤孝著)を読んだ時、“話上手に学ぶ”という部分に永さんの講演の時の文章があり、そこで見たものだった。ここで、あらためて、その本を取り出して確認してみた。
永さんは、友人の井上ひさし氏について次のように語っていた。「彼がいちばん大事にしているのは“難しいことを面白く、面白いことを深く、深いことを易しく”で、、これが彼が物を書くときの大前提なんです。・・・」
そういえば、永さんの実家はお寺でしたね。だから、自然に永さんふうに“難しいこと”から始まって、「おもしろく、ふかく、やさしく」という言葉がでたのでしょうね。


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「その方法でやっている限りは、自分ひとりの才能を越えられない・・・」
「他力」五木寛之著より。
これは映画のアカデミー賞のデザイン部門で賞を受賞したグラフィックデザイナーの石岡瑛子さんに対して五木氏が言った言葉だった。まずは、ここにある“その方法”についての説明が必要だろう。(ここでの表題は「自分をはるかに超える仕事をするために」となっていた。)
その方法とは、石岡さんは日本でよりアメリカで仕事をすることが多く、いつも優秀なスタッフと組んで仕事をしているという。そのメンバーは石岡さんがオーディションで選んだ、本当にやる気のある人ばかりだから、仕事があっという間に進んでいくようだった。
ところが、日本の場合は5人のスタッフのうち、仕事のできない人が二人ぐらい加わってしまうから、ほかの3人が優秀でもすべてがだめになってしまうと考えていたのだ。それに対して、五木さんは上記のフレーズのように考えたのだった。
周りのみんなが優秀なら仕事も素晴らしいものができるに違いないが、それは石岡さんの才能の範囲内の仕事でしかなかった。本当に大きな仕事はそれを超えたところにできるはずという意味だったのだ。
極端な例かもしれないが、変な奴、やる気のない奴がいて、仕事で手を抜いたためにミスが起きることもある。しかし、それが結果的に予想もしなかったような結果になること、思いもかけない成功につながることだってあると五木さんは主張していた。
あらかじめ頭に描いた通りのことだけが、素晴らしいとは限らない。よくノーベル賞級の発見、発明は偶然に見つかったなどとも聞くことがある。そんな話とも似ていそうだな。組織では、いろいろな趣味や性格の人たちが集まっているからこそ、チームとしての力が発揮できるとも思える。