ニュートラルな無所属の意識を持ち続ける。

朝日新聞」2009.12.20付けより。
全面広告の“朝日求人”の中のコラムで、木村政雄さんの言葉だった。無所属の反対はどこかに所属するということになる。そんな感覚はちょっと安心感があったり、時には力が発揮できたりするものだ。
そこに属していればこそできる仕事も多いはず。しかし、それで本当に実力がついたと勘違いしやすいことも確かだろう。看板の力は自分の思った以上に大きいものに違いない。
今所属している企業や組織にいかに守られているかを、時にはちょっと振り返ってみる必要がありそうだ。木村さんは「どこかで片足を外に出しておこう」という表現で提案している。
これもかなり意識的にやらないとついついニュートラルな無所属の意識は忘れてしまうだろうな。ただ群れているだけでは、客観的な判断力を持ち続けることはできそうもないな。

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個人の名前でいられる世界を持っておくこと。
朝日新聞」2009.12.20付けより。
(前日のつづき)
木村(政雄)さんは、かつて「有名塾」という自由な塾を運営していたことがあった。(関係ないことだが、その反対の名称の「無名塾」は仲代達矢の演劇塾で、入塾審査の倍率は非常に高く、劇団の東大と称されるほどの狭き門であると以前読んだことがある。いま活躍する役所広司は二期生だった。)
さて、この「無名塾」役職と離れて、年代や老若男女主婦も学生も一堂に会する集まりだった。これについては以前座視で読んだことはあったが、親がつけてくれた名前に戻って、グループに分かれ出し物などを完成していく活動をしていたようだ。そこではみな不思議なほど元気になったという。
木村さんは、その経験から自分の名前でいられる世界を持っておくことは、エネルギーになると実感したようだ。そういえば、以前何かの本でも、ある社内向けポスターを作ったときに、それを作った人の名前をどこかに入れたら評判が良かったとあった。
やはり、自分の名前で何かができることは張り合いにつながるものだ。それが評価されることで、次へのエネルギーになることは容易に想像できる。もし、あの仕事は自分がやったんだ、という誇りが持てたら最高でしょうね。

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自分の理想に合った仕事など用意されていない。
朝日新聞」2009.12.20付けより。
(前日のつづき)
いきなり、そう言われてしまうと厳しいと感じるかもしれない。就職する前は、きっと自分がやりたい仕事がそこにはあるに違いないと思って入っても、理想と現実のギャップに戸惑う人も多いことだろう。
また、社内で所属部署が変わったときなども同じ思いをするのではないだろうか。だからと言って、初めからなんの希望もなくただ何となくその仕事をやるのもつまらないものだ。
実は、自分がそこに入る前に、仕事はすでに始まっているわけで、すでに流れている川の水の中に飛び込むようなものだろう。流されながらも、技術を身につけ少しでも自分のペースで泳ぎ切れればいいのだろうが。
木村さんはユニークな表現でこれを説明していた。それは、ドッジボールのようにすでに試合は始まっていて、仕事に入る人は試合の途中から入るメンバーだという。仕事では痛い目にあいながらも、ルールを覚えて上達していく。
動き続けるゲームの中で自分のポジションを探していくことが仕事というものだと説明している。だから、どんな会社でもまずは3年は体験してみるのが先だという。フリーターやニートという人たちは、ドッジボールに参加したくない人たちで、そこにいる限りはトレーニングはできないとも語っている。

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(お笑いの世界では)人間の笑いのルールを体得しないと生き残れない。
朝日新聞」2009.12.20付けより。
(前日のつづき)
先週はM1決勝戦をテレビで観戦していた。視聴率も毎年かなり高いようだ。その決勝戦に残るコンビはいくら若手漫才とはいえ、結成してから1,2年では無理だろう。
8、9年も下積みで実践を積んだコンビが勝ち残ってくる。すでにテレビで頻繁に見られるコンビでも、今年は4629組が挑戦したのだから、決勝戦の舞台に勝ち残っているのはきわめて狭き門だ。
しかも極度の緊張感のなかで最高の舞台にするのは並大抵ではないはず。ほとんどの組が力を十分発揮できていなかった。
最終決戦で満票を獲得して優勝したパンクブーブーに、テレビなどの出演オファーが20件以上も殺到したというウェブニュースがあった。このコンビも9度目の挑戦だった。
毎日どのチャンネルをつけても、様々な番組にお笑い芸人さんは登場している。クイズやバラエティでは司会者もゲストや回答者もお笑い芸人であることもしばしばだ。
製作者側としては若手芸人ならギャラも安上がりで済むという台所事情もあるのだろう。もちろん人気が落ちればそのスペアーはいくらでもあるので便利かもしれない。当然ながら芸人さんは常に賞味期限を延ばす努力を怠れない。
木村さんは最後に「仕事は、技術と個人の意識、その両輪があってこそ伸びる」と話している。もちろんそれはお笑いに限ったことではなく、日々のルーティーンワークにも当てはまる。

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世の中には、正直者がばかを見ないことも、ごくまれにはある。
「他力」五木寛之著より。
五木さんによると、正直者はばかをみるのが当たり前だということになる。わずか3ページのなかで、同じような言葉が何度も繰り返し使われていた。そして、この部分の表題は『「できないものは、できない」と思う』だった。
五木さんは自分のことを、「努力型の人間ではありません。むしろ、その反対の、かなりいいかげんなタイプです」と述べている。しかし、努力するという姿にはあこがれてはいたそうだ。
何をやっても長続きしないのが生来の性格だと語るが、今までたくさんのベストセラーを世に出し続けてきた事実を知るととても信じられない。私もとくに20代のころは氏の作品を何冊も続けて読んでいたことを思い出す。
少年時代の過ごし方で、その後の考え方も変わってきてしまうようだ。そして、何をどうがんばろうと、大きな社会の変動や時代のうねり前には、ほとんど無力なのだと感じているという。
これは、今の状況を振り返ってみれば理解もできる。景気が落ち込んだ状態ではどう個人が考え行動しようが、たちうちできない。だから業績が伸びている企業はそれだけでニュースになっている。
景気低迷が続くために、学生たちは就職が困難で、すでに仕事に就いている人たちも先行きが不安なことは確かだ。少子化も今後も続きそうでもある。
そんなことを考えれば、個人の努力も善意も報われないのが当たり前だとも受け取れる。五木さんはむしろそのほうが多いのが人間の世界だとひそかに思っているようだ。
正直者はおおむねばかをみる。努力はほとんど報われない。報われる方が奇跡だとも考えている。でも早く努力が空しくならない世の中になってほしいものだなぁ・・・