横書きは「NO」、縦書きは「YES」・・・

阿久悠展」パンフより。
ちょうど1週間前に、ようやく「阿久悠展」(10月15日〜2010年1月31日)を見に行くとこができた。場所は氏の母校明治大学中央図書館のギャラリーだった。数年前から眺めたことはあったが、立派なビル(リバティタワー)にその日初めて入った。
上記フレーズは、阿久氏の御子息、深田太郎氏よる寄稿文からのものだった。阿久さんは自らを“アナログの鬼”と呼んでいたそうだ。生涯、手書き・縦書きにこだわり続けたという。
そして、持論は「ワープロ打ちの横書きの文章は首を横に振りながら読むが、縦書きは上から下へウンウンと頷きながら読む」だった。
実に面白い理屈になっている。「イエス」と「ノー」・・・、それが上記フレーズの中身だった。思わずナルホドと首を縦に振ってしまいそうだ。
蛇足
また原稿執筆時は高価な万年筆ではなく、一本105円の水性サインペンを使用していたというのも親しみがわく。この見開きの左ページにはその手書きの原稿『また逢う日まで』が掲載されている。会場にも展示されていたが、実に読みやすく味のある文字で書かれていた。

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変わらなくてもいい変化、不必要な新しさ・・・

阿久悠展」パンフより。
これは「時代の風」と題して、阿久氏が1998年3月26日、武道館での卒業式で語っていた内容を掲載した詩の一部分だった。その詩のタイトルは“時代遅れの新しさ”となっている。
いかにも“アナログの鬼”自ら称しているだけあって、表現も面白い。氏自身の現役時代の仕事は三十数年間、時代というものを常に追いかけながら仕事をしてきたと述懐している。
しかし、時代はどんどんと進んでいくが、それらすべてを信用していいのか、という疑問が阿久さんにこの詩を書かせたのだろう。
詩の中には次のようなフレーズもあった。『人間を馬鹿にした進歩、それらを正確により分け、すぐに腐る種類の新しさや単なる焦りからの変化には「パス」と呼んでも悪くない・・・』
ここでは人が追いついてゆけないほどのハイテク化やIT、また流行に遅れまいとする愚かさを連想させるな。
そして、最後の部分には『新しがるよりもっと正確に、時代の知識が必要になる…』ともあった。実に深い意味合いの言葉だ。こんな詩が読まれたことをまだ覚えているこの年の卒業生はいるのだろうか。