壁に張り付いている生物はたくましい。

「壁の本」杉浦貴美子著より。
これは著書と言うよりもむしろ、壁をテーマにした写真集だが短いコラムも掲載されている。まず、壁ばかり撮影した写真に興味を持って買ったのだが、それらはまるで抽象絵画のようでもある。
いつもどこかで眺めてはいるが、ただ通り過ぎていくだけでじっくりと壁など眺めたことはなかった。しかし、写真として切り取られた作品をみると実におもしろい。ほとんどは接写の状態で撮られていた。
元々は新しかった塗料も時間の経過とともに剥げ落ち、あるいは部分的にめくれあがり、微妙な色の変化を除くことができる。風化して亀裂が入った海岸沿いの建物の壁も味わいがある。
またフレーズで取り上げたように、家の塀や外壁には蔦性の植物がからみついていることがある。それらは、実にスローペースで吸着根を伸ばして這い上がってくる。
かつて、自宅の一面の壁も蔦で覆われていた時期があった。だからこそ、このフレーズが共感できたのだ。一度張り付いてしまうと人間の力ではとても剥がすことは不可能だった。
ちょうと壁の塗り替え時に取ってもらうことができた。実に恐ろしいほどの吸着力だった。それ以来家に蔦を這わすのはこりごり。遠くから見ている分にはきれいかもしれないが、家にはよくなさそうだな。
壁の写真は下記サイトでご覧になれます。
http://www.heuit.com/

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人は垂直面を見つけると、貼りたくなるのかもしれない。
「壁の本」杉浦貴美子著より。
この自宅の二階の窓からは、隣の家のコンクリートの壁が見え、その上のフェンスの部分にはある政党の顔写真つきのポスターが貼られている。そこではフェンスも壁の一部だと考えられる。またそのすぐ横のコンクリート製の電信柱には不動産の張り紙がしてある。
家の中の壁を見渡せば、そこにはカレンダー、ポスター、小さな額、ちょっとしたチラシのほかにクローゼットのドア横の柱には色とりどりのシールが数十枚も貼られている。離れてみればカラフルな1本の線になっている。
つまり、それがフレーズにあげた垂直面だったのだ。それらは1センチ×2センチほどで、青、緑、黄色、白、オレンジ、紫色をしたクリーニング屋から引き取った衣類に付けられているものだった。なぜか意味もなく剥がしたら捨てずに貼りたくなってしまうのだった。
また食パンなどを買うと透明な袋に応募券のようなシールが付いていることがある。それらも、同様に食卓横の木の壁の部分に張り付けたままだ。シールを剥がしたところで、応募したことなどないまま数年が経っている。「とりあえず」、がそのままになっているだけなのだが。

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壁のなかにはときどき、地図が、ミクロの街が見える。

「壁の本」杉浦貴美子著より。

つまりそれは素材が古くなって亀裂が入った状態のときに見えるものだった。壁に数本の亀裂が入ると、その隙間に雨が浸み込み、風が吹き付け亀裂はどんどんと広がっていく。
白い壁なら黒っぽい不規則な線が現れる。それはまるで地図のようにも見えてくるから不思議だ。そういえば、田んぼのひび割れも同じようなものだろう。
また、よく似たものを地元のバスターミナルで見かける。それはコンクリートの広い地面に、たくさんのひび割れができたらしく、そこに新しい白っぽいコンクリートが埋め込まれているのだ。それらの線はバスの路線図にさえ見えてくる。
ただの亀裂さえも見かたによってはおもしろい。また微妙に色がついた状態の不連続の亀裂は抽象絵画の名画のようでもあるな。
そして、それらは時間の経過とともに地図の形を変え、ある日突然上塗りがされまったく別のものになってしまったりもするのだろうな。

蛇足
私が購入した時にはこの本はセロファンで封をされていたが、たまたまウェブでこの本を見てみたら、腰巻がついていた。そこには“街中に絵があるれている。ヒビ、錆び、剝がれ、痕跡・・・。ありふれた壁に潜んでいる、偶発的な美しさとドラマ。”とあった。実にそそるコピーでもあるな。もちろんこれがなくても買ったが。


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壁と同様に、地面もとても気になる存在。

「壁の本」杉浦貴美子著より。
昨日もちょっと触れたが、私は数年前から地面に関心を持っていた。そのきっかけは、春の桜の花びらが道路に散り積り、その小道全体がピンク色に染まっているのを目にしたからだった。
その時思わず、手元のケータイで写真を撮りたくなってしまった。それを見られるのはほんの数日間だけでまた元の味気ない灰色のアスファルトに戻ってしまう。また桜の花びらの吹き溜まりを眺めるのも楽しい。
数年前、地元の空き地に車の轍(わだち)が数本あって、その線に沿って桜の花びらが降り積もっていたのは感動的でもあったな。その翌年にはその空き地には家ができてしまいもう二度とその場所ではそんな風景を見ることはできない。
また最近では、アスファルトの亀裂から草花が勢いよく目を出しているのが気になっている。ほんのわずかな隙間から空に向かって枝葉を伸ばし、鮮やかな紫色の花を咲かせているアザミには生命力を感じたものだった。
雨上がりの道路では残った水溜りの模様もおもしろい。天候によって白、灰色、黒っぽく見えたり、また光ったりする地面の表情も一つのテーマとして興味深いものがあるな。