日本語の「アイデア」と英語の「idea」の違い・・・

「凡人が一流になるルール」齋藤孝著より。
これもフォードルールの中にあったワンフレーズだった。今までアイデアといえば、ちょっとした思いつきや具体的な工夫程度にしか考えていなかった。
しかし、それとは違ったニュアンスの意味もあった。それは、理想や理念というものだった。そして、フォードが目指していたのはこちらのアイデアだった。
それはつまり、“だれにでも買える自動車を大量に作り、人々の暮らしを豊かにすること”だった。これが木の幹となってそこから個別のアイデアを生んでいったのだ。
もし行き詰ったときには、「自分は何を目的としてこの仕事をしているのか」ということを突き詰めてみるべきだ筆者はいう。それは必ずしも目新しさにこだわる必要はないようだ。
大切なのは自分のコンセプト=「idea」を確立することで、そこから「アイデア」を生みだしていくということだった。これがフォードの発想の源ということになる。

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「勉強というのはやるかやらないかだ」
日経新聞夕刊」2009.10.23付けより。
“学びのふるさと”というコラムの中で、エッセイストの岸本葉子さんが書いていた。岸本さんが高校生のときに、ある英語の先生から言われたのは、「『うちの子はやればできる、やらないだけ』と言う親がいるが、それは違う。勉強というのは『やるかやらないか』だ」とあった。
これはほとんど何にでもいえそうなことだ。「本当はもっとすごい仕事ができる」「書こうと思えばいつだって書ける」なども同様なことだ。岸本さんはこのような言葉を聞くたびに、高校時代の先生の言葉を思い出すという。
そして、自分では絶対にこの言葉は言うまいと心がけているようだ。岸本さんが初めて原稿400枚を出版社に持ち込んだときに編集者に言われたことは、「本を出してくれるなら書く」という人は大勢いるということだった。しかし、実際に原稿を書いてくる人は、その何百分の一だということだった。
岸本さんは、そこで重要なのは「やるかやらないか」だと痛感したようだ。高校の先生の言葉を人生訓として、今も書き続けているようだ。まだ何も形になっていないのに、「やればできるさ」というのは実に軽い言葉だなと思った次第。
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誰かが作ったルールやマニュアルに何の疑いもなく従うという悪習慣。
朝日新聞」2009.10.25付けより。
“朝日求人”の「仕事力」というエッセイのなかで、野田秀樹さんが語っていた言葉だった。野田さんの肩書は劇作家、演出家、役者、美大教授といろいろとあった。最近では、東京芸術劇場の初代芸術監督にも就任していた。実に忙しそうだ。
上記のフレーズは必ずしも若い人たちだけとは限らないようだ。最近、野田さんは日本のエリートと言われる大人に悩まされているようだ。つまり、彼らは自分の頭で考えていないということのようだ。
「マニュアルや既成の価値観で仕事を続けていると、自分の裸の目で物事を見ることができなくなる」と表現している。この部分を読んで同感だと思った次第。
いつ誰によって作られたかもしれないルールに何も疑問を持たずに従っていることが、本当に幸せとは限らないだろう。時代の変化によって状況判断をして柔軟に、創造的に仕事も進めるべきだろうな。

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小学3年でもうプロをめざし始めた。
朝日新聞」2009.10.27付けより。
文化面には今月、囲碁最年少名人になった井山祐太さんへのインタビュー記事があった。5歳の時に、テレビゲームで囲碁を知ったのがきっかけだったようだ。
とにかく強い人と打ちたいという気持ちの延長線上にプロがあっただけと語っている。はっきり意識したのは小学5年で、プロ入りの一局に負けた時だったようだ。その時の悔しさがその後のプロでの活躍のバネになったのだろう。
中学に入学時にプロになった時点で高校には行くつもりはなかったという。その時から囲碁は若い時が一番大事だと感じていたようだ。それは、中国や韓国でもプロ囲碁界は20代が中心だったからだと語る。
趣味としての囲碁について、“囲碁は無限に打つ手のある、答えの出ないゲーム”だと答えている。芸術に近く、絵を描く自由な発想とも似ていると考えている。
スポーツ界では若い選手がトップで活躍することでそのスポーツがはやっている。囲碁でも自分のような若い世代が活躍できることで人気の底上げをしたいと抱負を語っている。やはり地味な囲碁だが、若者の活躍でスポットが当たると面白そうだな。

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好きなことをやるのが、ブランドになる。
「自分がブランドになる」石井竜也中谷彰宏著より。
個性ということについて述べられていた。中谷さんは、「こういうのが世間にウケるのではないかと思ってやり始めると、そこには大勢ライバルがいる」と話す。
むしろウケをねらうより、自分の好きなことをやっているほうが、誰にもいないポジションに行くことにつながるという。人のやっていることを参考にする必要もないということだ。
ここには書かれていないが、当然ながら中途半端ではないことだろう。しかもやっていることが飽きないことも条件ではないだろうか。
人から認められるほどのものになるには、繰り返しがポイントではないだろうか。個性がブランドにつながっていくなんて、そうそう簡単できることではないことだろうな。

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紙一枚ずつの努力を、どれだけ繰り返せるか。
「自分がブランドになる」石井竜也中谷彰宏著より。
石井竜也さんはの仕事は、一回ごとのライブ、一曲ごとの歌が積み重なってブランドができていくものだという。そして、あの人に頼めば、必ずこの程度のモノができてくるというまでの信頼度を勝ち取るまでには、当然ながら苦労が伴うもの。
私たちが本を著書の名前だけで買う場合やCDを歌手の名前で買う時を振り返ってみればわかりやすい。すでに何冊か自分で読んで、この作家の本ならまず外れはないだろうと思って買うことが多い。音楽も同様だろう。自分と相性の合いそうな作家やアーティストの作品をついつい手にとってしまう。
若いころは五木寛之の作品やミステリーでは森村誠一松本清張などを手当たり次第に読んだものだった。何人かの作家の本は必ず楽しめるという安心感があった。これがその人のブランドだろう。
中谷さんもブランドは蓄積だから、一気にはできないという。大量のお金をかけてテレビコマーシャルをやっても、それは認知されただけで、信用や説得力とは別物だった。
紙一枚の厚さの努力をどれだけ積みか重ねられるかの闘いのようだ。実際に、紙に書いたものを集めてその高さを実感してみるというのも具体的な感じもするな。(たとえば、手書きのノートでもいいかもしれないが。)

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僕の作戦は、競争のないところで一位になること。

「自分がブランドになる」石井竜也中谷彰宏著より。
これは「行列」ということについて触れている部分で目にしたフレーズで、こう話すのは、中谷さんだった。
その前に石井さんが、「並んでまでおいしいラーメンを食うのだったら、少々まずくても、たとえ3000円払ってでも、がらんとしている店のほうがいい」という。
並ぶのはキライだからだそうだ。私も何度か実際に行列のできるラーメン屋で食べたことがあるが、食べている間も後ろに並ばれるのは嫌なものだ。食べる時間よりも待つ時間のほうが圧倒的に長かった。
最近は同じ系列のラーメン屋ですぐに入れるところに行くようにしている。それほど味にこだわらないこうだから、待つ時間のほうがもったいない。
中谷さんもせっかちなほうで、待ったり並ぶ行為はイヤだという。並ばなくてすむようにするにはどうしたらいいかまで考えてしまうらしい。店のオヤジと仲よしになれば、なんてことも考えているようだが。
「行列」はその店の繁盛の証拠でもあるが、お客にとってはどうやって待ち時間を過ごすか、雨でも外で傘をさしながら待てるか、猛暑の炎天下でも待てるか。待つほうにとってはそれ一つ考えても、いろいろな考え方があるものだな。
ラーメンの話から「行列」になって、ブランドとは一見関係なさそうな話だが、都内に一流ブランド店がオープンすると必ず開店前から長蛇の列ができ、ニュースになるものだなぁ〜。
それなら、事前にその店のオーナーと親しくなれば並ばずにすむ作戦も中谷さんなら可能かもしれないが、一般人には無理かも。

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プロは、3つ以上アイデアを出せる。

「自分がブランドになる」石井竜也中谷彰宏著より。
二人は「妥協」ということについて、語っていた。石井さんは、役者にしても、監督にしても、絵描きにしても、プロはどんな人もトップセールスマンだと考えている。
それは、相手が気に入るまで「これはどうですか」「だったら、これはどうですか」と次々とアイデアを出せるからだという。それを3つ以上出せるのがプロだという考えだった。
中谷さんも、優秀な人ほど引き出しをいっぱい持っているという。一案しか出してこないのはプロじゃないようだ。だからゆずれないアイデアしか出せない人はスタッフに入れていないのだ。
歌の現場では、プロの作詞家はレコーディングの場で歌詞を書きかえることまでできるという。それだけ豊富な語彙を持っているからだ。それでこそ、周囲を納得させることができるのだろう。
つまりそれが、プロとしてのブランドと言えるのだろうな。確かに3つ以上もアイデアを持ってプレゼンに出かけられれば余裕をもてるかもしれないが、事前の準備も半端じゃないな。
つまり実力がモノをいうのだろう。日ごろの蓄積によって「ここまでやるか、と思えるくらい」次から次へと新しいアイデアを提案できることか。それがプロとアマの違いかな。。。。