「なくならないものより、なくなって見つかったもののほうがもっと喜

「メトロポリターナ」2009.9月号より。
“ひとりもいい。”(文・八坂裕子)というエッセイのなかで目にしたフレーズだった。「・・・なくなって見つかったもののほうがもっと喜びを与えてくれる」とあったが、これはアイルランド生まれの作家、アイリス・マードックが『鐘』という作品の中で書いていたワンセンテンスだった。
ここでの筆者の八坂さんは、あるときオペラを観て家に帰ったら、大好きな毛糸の帽子を忘れてしまったことに気づいたのだった。そして、翌朝、ホールに電話をしたところ幸い見つかったので、着払いの宅急便で送ってもらったという。
ところが、その二年後今度はパリから帰ったあとで、ホテルの椅子に置き忘れたことに気がついたらしい。しかし、今度はもう連絡はとらなかったという。それはその帽子が逃亡をしたのだと考えて諦めたのだった。このうようにモノを擬人化して考えるというのも面白い。
愛着のあるものを落としたり、忘れ物をしたりするとくやしいものだ。またそれが再び自分の手元に戻った時は喜びも大きい。いくら注意をしていても、ふとした時に忘れ物をしてしまうことはある。そんな時は金額の大小よりも思い込みの大きさだと実感するもの。
かつて、電車の中でお気に入りだった使いやすいタイピンを落としてしまった時は、しばらくもったいないことをしたと悔やまれたものだった・・・な。

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自分のいいところは思い浮かぶけど、才能とまで言えるかなぁ・・・
「メトロポリターナ」2009.9月号より。
ここに興味深いアンケートとその結果があった。“あなたは、「才能がある」と思える事柄を持っていますか?”というものだった。「もっている」と答えた人は10.9%、「得意なことはあるが、才能とまでは言えない」が55.1%、「もっていない」は34%という結果だった。
これはウェブによるアンケートで対象は働く女性20〜39歳、7098名の調査結果だった。約1割が才能をもっていると考えていて、そのうち7割以上が仕事にいかしていると回答していた。
やはり自信があれば、それを仕事に活かすこともできるのだとわかる。そんな人は仕事をやりがいをもってやっていることだろう。
またアンケート結果では「才能とまでは思えない/もっていない」という人は9割だが、そのうち7割の人が才能を見つけたいと思っているようだ。ただし、そのためにどう行動したらいいかが分からないらしい。
つまり具体的に考え行動することが難しいのだろう。たとえ特別な才能が見つからなくても、そこそこ仕事にやりがいをもてればいいとは思うのだが・・・。多少の不満はあっても、今のままの生活で我慢するほうが多いかも。
以上は働く女性へのアンケートだったが、働くオジサンだって同じようなものではないだろうか。ただし、年をとるほど努力をするのが億劫になりがちだったり。(これは自分のことだが・・・)


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中途半端なバカには誰も感動もしてくれなければ、金も出してくれない・・・
R25」2009.9.17号より。
「“極み”を極めた男たち」と題して、You Tubeのリンクが紹介されていた。「ヨーヨーで世界を極めろ!」では、今年8月に行われた世界ヨーヨー選手権の映像が紹介されていた。
その冒頭は「何かを極めた」ことってありますか?と始まっていた。どんなにくだらないことでもいいらしい。バカといわれるほど極めたものなどまったくなかった。もちろんどんなこととはいっても犯罪や道徳的に問題があることは論外だろう。
まあ、趣味の世界で、ということになろうか。この世界ヨーヨー選手権では、全7部門すべてで日本人が優勝という、とんでもない“事件”が起こったらしい。さっそくYouTubeで検索してみた。スゴイ!
これはアートなのかスポーツなのか、まるでそれらが融合しているかのようにも見える。とてつもないスピードとテク二ックが繰り広げらる。こんなパフォーマンスがあるなんてまったく知らなかった!
2つのヨーヨーを操る(ダブルハンドスプリング)木村健太郎選手の技は、あまりにも早くて見えないほどだ。あんな複雑な動きをして、いったいどうして糸がこんがらがらないのだろう?実に不思議だ。世界のトップレベルは違う!
映像はYouTubeで「キムラケンタロウ 3A」で検索して、その他の選手も見られました。

http://www.youtube.com/watch?v=AlEydUdhMX8