料理というのは頭を使えば使うほど面白くなるし、ためにもなる知的な

「帰宅の時代」林望著より。
林氏は料理が趣味のようだ。夜中に食べ物をいろいろと工夫して作っているらしい。それを見て奥さんは「忙しいのによくやるわね」とあきれ半分感心半分だという。しかし氏にとってはそれは研究で楽しくてやめられないらしい。
仕事以外でも、そこまでのめり込めるものがあるのはすごいとも思える。さらにこれは実用的だともいえる。安い食材を探すというばかりではなく、どうやって無駄をなくす工夫をするかと考えれば合理的になる。そうなれば、当然頭も使うことになるだろう。
どこどこの素材に限る、などというのではなく、むしろありふれたものでも、自分の知恵と腕で勝負するのが醍醐味らしい。お金を出せば買える贅沢ではなく、独自の知恵と知識と工夫で料理を楽しむというところがポイントになっている。
さて、振り返ってみれば、これは料理だけに限らないかもしれない。“知恵と知識と工夫”なら日常生活のあらゆるところに生かすべきだろう。意識するからこそ見えてくるもの、気づくものがある。
また仕事をする際にもそんなことを念頭に置けば、味気ない仕事にも面白さを見いだせるに違いない。アイデアはいきなり浮かんでくるというものというより、むしろちょっとした工夫の積み重ねから生まれてくるものだろうな。

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そもそも大学で国文科に進んだんのは、高校生のときに国語が嫌いだったかもしれない・・・
「帰宅の時代」林望著より。
これを読んでおやっと思ってしまう。実に奇妙なフレーズでもあった。林氏は文学そのものが嫌いだというわけではなった。「国語の授業」がどうも不愉快で仕方がなかったらしい。
国語の教育体系や教師に問題があるに違いないと思っていたようだ。それならば、ひとつ自分が国語の教師になってやったほうが、むしろ面白い授業ができると考えていたのだ。
しかも、高校を卒業するとき、ホームルームで将来の目標を述べたとき「国語に教師になって母校に戻ってきます」と宣言したのを覚えていたのだ。それだけ思い込みが強かったということだろう。
その後、母校には戻らなかったものの、国語の教師にはなっていた。しかも古典文学一筋だった。いろいろな経過をたどって高校、短大、大学(芸大)で古典を教えてきていた。
たとえ動機はどうであれ、国語が嫌いだから国文科に入りちゃんと国語の教師になったという初志貫徹はすごいものがあると感じた次第。氏はまた次のようにも語っていた。
「国文学の世界で身につけた基本的なノウハウは、国文学でしか使えないわけではない」、と。つまり、一人前の国文学者になりたい一心で勉強したことは「勉強方法の勉強」にもなったという。それはまた実に深い言葉でもあるな。

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やたらと三連休が増えたのは、一見すると良いことのように見えるが・・・
「帰宅の時代」林望著より。
なんだか知らないうちに、三連休どころか、(初夏のゴールデンウィークとは別に)秋にはシルバーウィークなどという名前でこの五連休が始まろうとしている。
べつに連休が増えたからといって、全国民がその恩恵にあずかるというわけでもないだろう。場合によっては、仕事がやりにくくなる人たちだっているだろう。
また一般の人たちが病院、医者に行きたくても行けなくなったり。郵便局、金融機関への入金手続きがしにくくなったりということもある。役所も学校も休みに入ってしまう。
ビジネス、サービスがストップしてしまうと、不便なことも増えてくる。本当に国民が望んで増やしてもらった連休ではないような気もしてくる。一斉にどっと休みとなると行楽地だって集中し混雑するだろう。
むしろゆっくりと休んだ気になるのは、ウィークデーに有給休暇で休んだ時ではないだろうか。有給休暇の取得を義務化して、休みたい平日に休んだほうがいろいろと有効活用できそうな気もするな。
時どき平日に休むことはあるが、そのほうがやりたいことをスムースに済ますことが出来てありがたい。まあ、“毎日が日曜日”の生活になればそんなことは関係ないが。

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けがを予防する意識が徹底されていること。
朝日新聞」2009.9.15
この何気ないフレーズも、特定の人物に当てはまると思うと見方も変わってくる。昨日はまさにイチローデーだったのではないだろうか。上記フレーズは「イチローを語ろう」というコラムのなかでチームメートの城島捕手の談話からだった。
それは城島選手がイチロー選手に対して1年目から感動していることでもあった。200安打は驚異的な数字だが、それ以上に素晴らしいのは毎年600打席以上も打席に立っていることだったという。
それは日常の何気ない地味なことにも気を遣い過ごしていることだった。たとえば、本拠のクラブハウスでは城島選手を含めほとんどの選手はフカフカのソファに座るが、イチロー選手は長い時間座ると腰に負担がかかるからとパイプイスだという。
また、階段とスロープがあると必ずスロープで上り下りするという。それは階段だと足を滑らせる可能性があるからだった。スパイクを履いていれば、捻挫や大けがもありえるかららしい。その他日常から数多くの地味なチェックポイントがあるようだ。
大記録達成の裏には日頃の地道な心がけと、それを継続していくという根性が必要不可欠であることを痛感させる。そうは言っても長年の疲労からのけがはいつ起こるかわからない。“勤続疲労”は自分たちも気をつけねばならないのだろうな。
蛇足ながら、昨日は私も朝からそわそわしていた。幸い外出中の車の中だったので、ケータイの小さなテレビ画面で200安打達成の瞬間をリアルタイムで観られたことはラッキーだった。ビデオ録画して同僚たちにも見せてあげることができた。ちょっとしたマイお宝映像になるかな。