タクシーに乗って行き先を告げたときに、「で、どの道を行きましょう

「頭がいいとは、文脈力である」齋藤孝著より。
齋藤氏はこの質問はヘタだといつも思っていた。それはつまり、目的地に早くたどり着けて料金が安い道が一番いいのは決まっているからだった。だから客である自分に訊くなよと言いたかったのだ。
私も月に1、2回仕事帰りにタクシーに乗ることがある。やはり同じような訊き方をされることもある。というのは駅から私の自宅へのルートはA回り、B回りと2つ考えられるからだった。私の場合はそう訊いてもらった方がありがたい。
時間も距離もほとんど同じだが、ルートによっては「あそこを曲がって」、という回数が多かったりするからだ。飲んだ後で、あまりに疲れているときは面倒なので、支持しないで済む方のルートを行ってもらうことにいている。
いずれにしても、適切な質問をされるとありがたいもの。考え事をしているときなど、余計なことを話しかけられると困るが、逆にまったく口をきかない運転手さんにあたったりするとサービスに欠ける気もするな。一番がっかりするのは、「ここで結構」と言ったすぐ後で料金メーターが上がったときかな・・・

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博識な人を「すごい」とは思っても、「頭がいい」とは言いたくないところがある・・・

「頭がいいとは、文脈力である」齋藤孝著より。

たまに雑学などの知識が豊富な人がいるが、それがどうした!といいたくなることもある。その知識が話の中に必然的に含まれるものならいいのかもしれない。
ただの知識だけなら、本の中に書かれているものを知っているかどうかだけの問題になる。その知識を面白くするのは、自分なりのオリジナルな視点がある場合だと齋藤氏はいう。ときにはそれは思い入れともとらえらる。
話の途中で、「たとえば」といってある知識を披露するなら納得できる。すると「へえ〜、そんなことまで知っているんだ!」と感心してしまうことがある。
そうではなくて、単にあれも知ってる、これも知ってるだけでは、聞いていほうは飽きてきてしまうだろうな・・・。と言いながら、この日記では受け売りばかりで大したことも書いていないが・・・。

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私たちが感じる充実感には、構築系と発散系とがある。
「頭がいいとは、文脈力である」齋藤孝著より。
これらの構築系、発散系などはふだんあまり聞きなれない言葉なのでちょっと気になった。たとえば、陶芸や作曲は構築系で、お喋り、カラオケ、買い物などは発散系だと言われればわかりやすい。
そして、充実感をより感じられるのは、生産性があるものの方だという。確かにそれはそうだと思える。よく買い物でストレスを発散するということも言われるが、そこには何かを達成したという喜びは感じられないものだ。
ところが、自分で何かを前向きに作り上げるという行為のときは、意外につまらないものでも時間を忘れて没頭してしまうことがある。そんな時はけっこう充実した時間をすごいているもの。
まあ、こんな日記を書き続けるというのも、作り上げるものと考えれば、ある意味構築系といえなくもないが、ただの書き散らしなら発散系でもあるかなぁ〜〜〜〜。どちらも含まれていそうな気もするな。