グーグルは、信じられないほどの「超超優良企業」

アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著より。
グーグルのような企業は日本には存在していない。この会社は1998年にスタンフォード大学の大学院生2人によって作られていた。ラリー・ペイジセルゲイ・ブリンともに31歳ごろだった。約10年ほど前という若い会社だ。
設立して6年目の2004年時点では、企業の価値は当時ナンバーワンだったゼネラル・モータース(今年破たんした)と比較すると4倍弱で、日本の日立やソニーを大きく上回っていたという。
2004年の従業員数は1628人、GMや日立は23万6000人だった。グーグルの従業員一人当たりの企業価値は、GMや日立の800倍を超えていた。ソニーの200倍以上になる。これだけで十分「超超優良企業」だと感じられる。
株式時価総額は10兆円で、マイクロソフトの15兆円には及ばないが、トヨタ自動車に肩を並べている。ソニー(2兆円)と比較しても5倍になる。
大学院の学生2人によって作られた会社が、10年ほどであっさりとかつて経済を支えてきた歴史の長い日本の会社を抜いてしまったのだ。これからいったいどれくらい発展していくのか実に興味深いところでもあるな。

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インターネットで不可欠な水先案内人。

アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著より。
19990年代の半ばに、ジェリー・ヤン(当時26歳)とデビッド・ファイロ(当時28歳)の趣味がビジネスになっていた。そのとき会社名をつけるため、二人はYAで始まる言葉を辞書で調べたのだ。
YAにこだわった理由は、当時のコンピュータ業界では、“Yet Another”(もう一つの)という言葉が新しいソフトの頭文字に使われていたからだった。そして、辞書で「Yahoo」を見つけて、会社名を「Yahoo!」にしたという。
さっそく、手元にある古くて分厚い英語辞書で引いてみると確かに見つかった。「ガリバー旅行記」に登場する人間に似た愚かな動物のことらしい。不作法者ともあった。これはちょっと驚きだった。
ヤフーにしても、グーグルにしてもスタンフォード大学の大学院生が、なかば趣味で行っていたことがその後、世界的なビッグビジネスに発展したものだったということがわかる。
インターネットは彼らが作り上げた検索エンジンがなければ、実に使いづらいものだったろう。これがインターネットの水先案内人というわけだった。
いつの時代も人が必要とするものを作り上げた人は成功するものだな。たとえそれが個人的な趣味から始まったものでも。

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グーグルが登場してから、私は検索エンジンに対する否定的な考えを改めた。
アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著より。
この“私”とは野口氏自身のことだ。かつては検索しても重要でないものが上位にきてしまい、探す手間暇が大変だったということだろう。以前NTTも開発に携わったある検索エンジンでも「NTT」と入力しても、NTTの本社を探すことができなかったという。
野口氏はこれでは役に立たないので「自分のことを探し出せないのは何たること」とあるところに書いたらしい。しかし、今ではNTTの公式ホームページがトップに表示されるようになったようだ。
一般的な言葉では、サイトが膨大な数になるため、関連の言葉が数10万件になってしまえば、使いものにならない。そこで、グーグルでは「リンク数(他のサイトで引用される回数)の多い順に並べる」という方法を採用して、この問題を解決していた。
実際、検索して読み始めるのははじめの方にリストアップされた項目だけだろう。それだけ読めばいいいから実に効率的だ。私ももっぱら検索にはグーグルを使用することが多いかな。その中でも特に「I'm Feeling Lucy」はありがたい。

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多くの人は、検索結果のうち最初の3ページしか見ない。
アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著より。
これを件数にすれば、30件程度だろうか。私の場合はそんなには見ていない。じっくり調べものをする場合なら、別だが通常はせいぜい3件程度かもしれない。
つまり人気投票の上位だけにきているサイトだけが目立つことになる。だから、企業がホームページを作ったからといって、簡単には見てもらえない。筆者はリンク数の多さは使われる頻度の高さと同義になる場合が多いという。
検索されても下位にあれば、見てもらえないことになる。検索結果が重要でないとも思われてしまう。もしネットをメインにビジネスをしている企業なら、これはかなりのマイナスだろう。
ということは、いかにグーグルの検索で上位に出てくるかが企業の発展にも大きく影響しそうだ。そして、あるIT関連事業者は次のようにも言っている。
「グーグルは全能で、インターネットのすべてを支配している。そこでの順位が、IT企業の繁栄や破滅を決めてしまう」と。こんなところにもグーグルのすごさが感じられるな。

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人は情報に対価を払わない。
アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著より。
情報を探すための検索エンジンには当然ながら、高度な技術が用いられている。だから、こんなサービスは有料で提供しようと考えるのが普通だろう。しかし、有料にすれば利用者は限られてくる。人はできれば情報はタダで手に入れたいと思う。たとえ、質が落ちたとしても無料なものがあれば、そちらを利用するだろう。
そこで、ここには百科事典ブリタニカの失敗の例があった。30年から40年前であろうか、テレビのCMでは百科事典とはブリタニカのこと、というフレーズがあったことを思い出した。ブリタニカは18世紀にイギリスで作られたもので、「知の宝庫」と呼ばれるほど質の高さを誇っていたという。
そして、百科事典を猛烈セールスマンが、歩合給で売りまくっていた時代もあった。確かに(ブリタニカではないが)、十巻以上もの分厚い百科事典が実家にもあったものだ。本棚の飾りのようにもなっていた。
ところが、マイクロソフトが1993年にCD-ROMの百科事典「エンカルタ」を発売したのだ。当時私はその発売が待ち遠しくて、すぐに電気店で買い求めたことを思い出す。最低1年は飽きずに楽しんでいた。文字や写真だけでなく楽器や動物の音声や動画まで収録されているのは画期的だった。
たった1枚のCD-ROMに百科事典数冊分の情報が満載されていた。しかも場所をとらないのがありがたかった。そのうち、インターネットの情報検索のほうが楽になって、今ではエンカルタさえどこに行ったのかわからないほどだ。
結局、ブリタニカは時代の変化に対応できなかったのだ。もう、今の若者にはブリタニカといっても何のことやらわからないだろうな。マイクロソフトは結果的に既存企業をつぶすという結果になったようだ。

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はっきり言えば、自動車産業アメリカでは不要になった産業・・・
アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著より。
筆者によれば、繊維、家電製品、鉄鋼、造船などの製造業が、つぎつぎにアメリカから消滅していったという。とはいっても、それはアメリカの没落ではなかった。
アメリカの産業構造が柔軟に変化しているということだったのだ。その順番が自動車にまできたと指摘している。過去の経済を支えてきた産業が残ることより、新しい産業の誕生こそが重要らしい。
IBMのPC事業はすでに、中国企業に買収されていた。アメリカの製造業の多くは中国へ移っている。日本ではまだモノ作り執着している。だから、日本でITと言えば、半導体の生産やエレクトロニクス機器の生産や製造業を指している。
それに対してアメリカではソフトのことなのだろう。現在のシリコンバレーでのベンチャーキャピタルは、むしろITからバイオテクノロジーへと移行すると考えているようだ。というのも、スタンフォード大学の学生の人気もコンピュータサイエンスではなく、バイオサイエンスだという。
やはり最先端に近い地域の学生は変化に敏感なのだろうか。そのうち、数年後にはITなど死語になってしますのかもしれないな。

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19世紀のゴールドラッシュと21世紀のゴールドラッシュをつなぐ導管・・・。
アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著より。
これはいったいどういう意味かといえば、その導管の役目を果たしたのは「スタンフォード大学」だというのが野口氏の主張だった。そして、もしスタンフォード大学がなかったとしたら「IT革命」と呼ばれる、大変化は生じなかった可能性があるとまでいう。
この本はかつて筆者(野口氏)が「週刊新潮」に「21世紀のゴールドラッシュ」というタイトルで執筆したものをまとめたものだった。氏は「成功者は、とりわけ巨万の富を獲得した者は、その富の使い方において歴史にテストされる」と述べている。
そして、このテストに合格した者はわずか数名だったようだ。その中でも大陸横断鉄道を建設したリーランド・スタンフォードスタンフォード大学の設立者として、間違いなく合格者の中に入っているという。
それは、19世紀のゴールドラッシュによってカリフォルニアに根づいた精神を、現在まで継続し得たのはスタンフォード大学が存在したからだと述べている。
これを週刊誌に連載中に、客員教授としてスタンフォード大学に滞在していた野口氏は「この空気こそが、ITを、アメリカの未来を作りだした」と強く実感している。実に思いれを感じさせる。なんと一週間以上も一冊について書いてしまった!久々に味わい深い本だったな。