表現の「コロンブスの卵」・・・

朝日新聞よりのメルマガ(2009.3.1)より。
ここにあった記事にリンクしていくと森村誠一さんの「アスパラ写真俳句塾」の総評を読むことができた。そのなかのワンフレーズだった。「第8回アスパラ写真俳句塾」の応募総数1166点うち入賞作品が10点ほど掲載されていた。
そこでの森村さんのタイトルは「携帯の普及で身近に」だった。つまり写真俳句もわざわざカメラを持ち出さなくてもいつも身につけているケータイでさらに身近になったと感じていたのだ。俳句は季語が必要だから面倒だというような先入観も、この写真俳句ではそれほど関係ない。
むしろ「今日、携帯が必須の日常の利器となり、通信に使うだけではなく、記録としての映像保存に利用するようになった。」と述べている。私も最近はでたまにテレビを録画して何度も見返したりもしていた。
森村さんは「凡写凡句が一体となって芸術的オブジェになれば、それは表現の「コロンブスの卵」である。その卵が孵化(ふか)していま大きく成長しつつある。」と語っている。
それはケータイを持つ生活が当たり前に定着してきたからこそ言えるのだろう。“表現のコロンブスの卵”とはさすが作家はうまいことを言うなと思った次第。