単なる情報ではない、物語の行間を読み取ること・・・

朝日新聞」2009.1.1付けより。
実際の新聞の記事よりもむしろ、広告の中のいくつかのセンテンスやコピーが気になった。元旦のこの日には、いくつかの大手出版社の広告が同時に掲載されていた。上記は新潮社の宣伝文のなかの一部だった。ヘッドコピーには「不便は便利。」となっていたが、これだけは何のことか分からない。
そのあとには次のうように続いていた。〜〜〜「紙の本」はネット社会の中で人間の感覚が求める “最先端のスローメディア”です。〜〜〜。
実に面白い表現だ。実際ネットに比べれば、スピードや情報量では限りがあるもの。しかし、じっくり考えられるのは、紙の本のページをめくる時なのだ。早くて多くて便利そうなのがいいわけではなかった。
だから、ネットは一見便利そうだが、物事を深く考えるならば不便なもので、むしろ不便だと思える本のほうが、(じっくり考えるなら)便利だろうという意味だった。生きる楽しさを味わえるのは情報よりも読み応えのある本かな。

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読書は心のストレッチなのかもしれない。

朝日新聞」2009.1.1付けより。
これも前日と同様に元旦の新聞に掲載されていた出版社の広告コピーのワンセンテンスだった。講談社の全面広告のヘッドコピーは、ストレートに「本が、読みたい。」となっていた。
広告の下の方をみると、“100年分の感謝をこめて。これからも本を作ります。」とある。つまり今年で創業100周年を迎えるようだ。
タイトルにあげた、先ほどのフレーズのあとには次のように続いていた。〜〜〜心は、ふだんから動かしてないと、動かなくなってしまう。さびついてしまう。子供だって、大人だって。心にも体操が必要だ。〜〜〜
だから、本を読みたくなるのは自然なことなのだということを言いたかったようだ。そこで、100にちなんで、2年間にわたって作家100人による100冊の書き下ろし作品を刊行すると記されている。
さらにおまけとして、「毎週100名に1万の図書カードをプレゼント」、という企画もあるようだ。(4月から1月まで)区切りの年ってかなり思い切ったことをやるものだな。
それにしても、「読書は心のストレッチ」かぁ〜、うまいコピーを考えるものだな。本をしっかり読むにも体力が必要かも。体のストレッチもせねばな、毎年体が硬くなりそうだし・・・

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百年後だって、人間はきっと変わらない。
朝日新聞」2009.1.1付けより。
上記は新潮文庫のヘッドコピーだった。たまたま前日の「100」つながりで、興味深いデータが掲載されている広告があった。それは太宰治松本清張が今年で生誕100年だからだった。以下ごく一部だけ抜粋してみよう。
両者は1909年(明治42年)生まれだったのだ。そこに着目して二人の年代ごとの発表作品や年齢が記載されている。太宰治は6月19日青森県に生まれ、松本清張は12月21日福岡県に生まれていた。
太宰は19歳の時(1928年)に同人誌「細胞文芸」を創刊している。そして、「人間失格」が完成した1948年(昭和23年)に39歳で入水自殺していた。一方、清張が作家としてデビューしたのはその2年後の41歳の時(1950年、昭和25年)だった。そして1992年(平成4年)死去(82歳)となっていた。
さらに新潮文庫のこの二人の作家のデータは続いている。太宰治、全17点の累計発行部数2040万部。松本清張36点の累計4327万部だった。それにしても、1社の文庫本だけでも恐ろしい発行部数!
作風もまったく異なる二人の作家をこんなふうに、「生誕100年」というキーワードでつなげてみると実に興味深いもの・・・だな。どちらも人間の本質を鋭く見つめて描き出しているという点では同じかも。だから100年後も読まれるのだろうか。

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人は、本と向き合いながら自分と向き合っている。

朝日新聞」2009.1.1付けより。
今回も同じく出版社のヘッドコピーを取り上げてみた。たった1行のコピー文も捨てがたいと思えるものがある。それが上記フレーズにあげたものだった。
他の出版社の広告が本の宣伝とともに10行以上の解説文を書いているのに対して、集英社の全面広告では、20冊ほどの書名とサブタイトル程度を除けば、宣伝文は上記を含めて2つだけだった。
実にインパクトがある。確かに本を読んでいるとき、本の世界に浸ることができる。そして、自分だったら、と置き換えて考えてしまうこともあるもの。そんなことをワンセンテンスで表現したのだろう。
さらに、もうワンセンテンスは次のものだった。〜〜〜次に進むべき道を指し示すのは、胸に刻まれた一行の言葉だと思う。〜〜〜
自分にとってインパクトのある言葉であるほど、長い間胸に刻みつけられるに違いない。そいういえば、胸に刻まれた一行は忘れないもの。私にとっては「今日という枠の中に生きよ」という意味の言葉だったな。
それは『道は開ける』(デール・カーネギー著)の中にあったものだった。もう30年も前に読んだのに、今でもたまにその言葉を思い出したりしますね。