贈り物のハッピーメーターを振り切る方法・・・

「メトロミニッツ」2008.12月号より。
年末は一年のうちでもっとも贈り物が飛びかうようになる。お歳暮やクリスマスが控えているからだ。また、モノではないが、忘年会などもふだんとは違った仲間との交流の機会でもあるだろう。中には一年頑張った自分へのご褒美を考えている人もいるだろう。
贈り物という部分を見ていたら、そろそろお歳暮を贈らねば、という気になった。今月ならまだ多少とも早期割引があるからだ。さっそくホームページから注文しようと開いたら、思うように注文画面に移動していかない。面倒だ。やはり実際に店に行ってから注文することにした次第。
さて、タイトルのフレーズだが、ハッピーメーターとは、要するに贈り物をしてとことん喜んでもらおうということのようだ。つまりちょっとしたアイデアやほんのちょっとした手間をプラスすればいいわけだが、それがなかなかできないのだ。
ここでは、あるテーマに合わせて様々なアイテムをかき集め、「編集」するという方法を提案していた。相手が喜びそうなテーマに絞っている。たとえば、鍋料理なら土鍋から箸、シイタケなど数点をセットにして贈るとうものだ。またお風呂用のグッズを7,8点セットにするなどもある。
きっと個人でなら買わないであろうものをかき集め「編集」するのは、思いやりにもつながりそうだ。もしかしたらそんな気持ちがハッピーメーターを振り切るのかもしれない・・・な。それとはまた別に手作りというのもありそうだ。しかしそれらは、手間暇がかかることだけは確かだろう。


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手紙はメール以上に雄弁だ。
「アットワンス」2008.11月号より。
職場の同僚にもらった初めて目にするフリーペーパーだった。フレーズは「女の目線」というエッセイのなかで、吉元由美さん(作家・作詞家)が言っていたことだった。
いつもながら、手紙は書こうとは思いながらも、ついつい電話やメールで済ませてしまうことが多い。しかし、口では思うようには伝えられないものだ。その時になると、適切な言葉が思いつかなかったり。
やはり少し時間をかけてペンで書いた方が確実にこちらの考えが伝わりそうな気もする。そういえば、この1週間に2度ほど手紙を書かねばと思ったことがあった。
一つ目はある知り合いの方から、その人が親しい歌手の新曲が出たのでCDをいただいたからだった。感想をお礼状に書いて送らねばと思いながらも日が経ってしまったので、留守電に入れただけになってしまった。
二つ目は私の友人が10冊目の単行本を出版したので、彼を通じて1冊購入したので、その感想を書いて送らねばと思っていたのだ。しかし、まだ読み終わっていない。今度こそ書いて送らねば。
吉元さんはさらに、「手紙は不思議なもので、人と人の距離を数行にして縮めてしまう力を持っている」と述べていた。もちろんそこには心をこめて書くことが必要だろうが。それでそこ手紙は雄弁になるのだろう・・・な。


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ユーモアの要諦は思いやりにある。
「ユーモアの流儀」小田島雄志著より。
このフレーズのすぐあとには、『と、わかっていても、相手に対する思いやりが「重い槍」に豹変して相手を傷つけることもあるのだから、むずかしい』と続いていた。重い槍はかなりぐさっときそうだ。
筆者はあるとき、ヴェテラン女優に「こないだの舞台はよかったよ。特にラストシーンは泣けた」とほめた・・・つもりだった。ところが、露骨にイヤな顔をされたという。それは、稽古のとき、ラストシーンで演出家と意見が食い違って言い争って、しぶしぶやらされた演技だったからだ。
ほめるのも、難しいときもあるものだな。また人をからかうときも、相手がユーモア感覚を持っているかどうかで、受け取り方がまったく違ってきてしまう。
ある人が足にケガをして、左足に靴、右足にサンダルを履いていたという。それを見た人が、ニコッと笑って「二足のワラジ」とつぶやいたそうだ。そのひとことで、言われた人は気持ちがあたたかくなったようだ。タイミング、ボキャブラリーの豊富さも関係あるのかなぁ〜。