料理の世界はできた者勝ち、まさに格闘技・・・

朝日新聞」2008.11.9付けより。
朝日求人のなかで、シェフの三國清三が語っていたことばだった。氏は「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーで有名な料理人の一人だろう。2007年には「現代の名工」として表彰されていた。この店には仕事も兼ねて何度か訪れたことはある。四谷の静かな住宅街の一角にある。
三國氏にとって料理の世界は格闘技だというのは、自身が若い頃から挑戦し勝ち抜いてきたからこそ言える言葉なのだろう。何度かお見かけしたことはあるが、ふっくらとして穏やかな笑顔が印象的だ。しかし、若い頃の修行はすさまじかったようだ。
夜間の料理学校へ通い、札幌グランドホテルのパートに雇ってもらい、鍋洗いばかりしていたそうだ。想像を超える忙しさだったようだ。しかも、上を目指したいきもちがあって、人が24時間働くところを26時間働こうと決めていたという。

その後帝国ホテルに移っても鍋洗いは続いていた。ひたすら鍋を洗いながらも、先輩の技を盗み自力で身につけていったと述懐している。すると、チャンスが巡ってきて、20歳にして「在スイス日本大使館付きの料理長としてジュネーブへ」という仕事を任されていた。やはり、見ている人はちゃんと見てくれているという代表だろうな。

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「君はアリになれるか。トンボになれるか。そして、人間になれるか」
朝日新聞」土曜版2008.11.15付けより。
丹羽宇一郎の負けてたまるか!”のコーナーで見かけたフレーズ。これは丹羽氏が会社時代新卒の採用試験の面接の際に聞いたことだった。
「アリになれるか」は泥まみれになって働けるか、「トンボ」は複眼的な広い視点でものを見ることができるか、「人間」は血の通う、温かい心を持った人間になれるか、という意味だったのだ。
いきなりアリ、トンボ、人間と言われてもすぐにその意味が想像できないものだ。しかし、このように説明されるとなるほど的確な比喩だと感じられる。しかも、20〜30代はアリで、40代後半まではトンボ、さらに40代後半から50代にかけては人間をさらに勉強すべきだと述べている。つまり年齢によってやるべきことがあるということだった。
ここに、ちょっと厳しい言葉もあった。「パソコンをポコポコたたくだけで、人間が成長すると思ったら大間違い・・・」と。パソコンでは人間関係は築けないだろうな。たしかに、今では仕事でパソコンは必需品だが、その前に座っているだけで仕事をやった気になってはいけないな。肝に銘じよう。

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「自動車にたとえると、筋肉はエンジンで、脂肪は燃料。」
JAF Mate」2008.12月号より。
食事量を減らしたり、ウォーキングに励んでも、やせててこないという人もいるらしい。その原因は筋肉の衰えが原因かもしれないと石井直方さんは語る。
(石井さんは東大大学院の教授で、若いころはボディビルダーとして2回国内優勝、世界選手権で3位の経験を持っている。。時どきマスコミにも登場している。とくに筋肉と肥満の関係に詳しい。)
筋肉が減ると安静時代謝が下がってしまい、肥満やメタボを招いてしまうという。筋肉が減るとその分脂肪が使われなくなり、身体がダブついてしまうのだった。だから、筋肉をつけることはダイエットには有効なようだ。しかも氏は体脂肪を効率よく落とす身体をつくるには、スロートレーニングがいいという。
ひとつの動作に3秒から5秒をかけて、ゆっくりと、常に筋肉に力が入った状態を保つことがコツのようだ。何こともスピードや勢いをつけてやればいいのではなかった。また激しい運動を長くやる必要もないことがわかる。
今日からでも「スロトレ」のエクササイズは始められそうだな。10分間程度で週3回が目標らしい。しかもなんの器具も使わなくてできそうだ。筋肉のエンジンで燃料である脂肪を燃やすということか・・・。

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30代、40代で生活が楽なのは間違い。
「君を、つらぬこう。」中谷彰宏著より。
筆者は30代、40代は苦しいのが当たり前と考えるべきだという。世界中、古今東西を見ても、30代、40代で生活が楽な国はないようだ。それは「緊急ではないが、重要なこと」をやっているからだった。
若いころはあれもこれもと、しなければならないことが多くて、出費もかさむものだ。金銭的に豊かになってから、「緊急ではないが、重要なこと」をやるのではなかった。
そういえば、先日、ある60代半ばの方と話していたら、若いころ(20代〜40代)は生活が苦しかったが、今の方が子どもたちも独立して、かえって楽に暮らせているという。特別贅沢をしようと思わなければ、快適だと語っていた。
やや関係ないが、20代の終わり頃やったある占い(生年月日や名前を元にしたものだった)が忘れられない。そこには“あなたはあまりお金に苦労することはない。しかし若い頃には財をなせないが、50歳を過ぎてから財をなすことができる・・・”というような意味合いの言葉があった。
その時は、まだ20年も先のことなのでややがっかりしていた覚えがある。しかし、他の占いの言葉はすべて忘れてしまっているのに、この部分だけは都合よく覚えていて、時々思い出していた。そして、実際50代に入ってみても財をなしたかどうかわからない。
もうすぐマイホームのローンも終わる予定だが、だからといって財産が増えるとは思われない。まだこれから先にいいことがあるのだろうか・・・(もっと楽になるのだろうか?)

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平凡がいちばんリスクが大きい。
「人を10分ひきつける話す力」齋藤孝著より。

もちろんこれは人前で話をする場合のことだ。もし抽象的なタイトルや平凡なタイトルだと、もうそれだけで聞いてみようとは思わない。似たようなテーマで話をされても、きっと内容も似たり寄ったりではないかと思ってしまうもの。
当り前のことを話しをしても、それはそうだよね、というレベルで終わってしまう。抽象的で大ざっぱな言葉を使っているのは本人もしっかりと理解してない証拠だろう。
できるだけ手垢にまみれてない言葉で話したいもの。やはり何か新しいことを話そうという意識が大事なようだ。齋藤氏は、とりあえず奇をてらってみるのがいいとすすめる。つまり人と同じことは言わないぞという心構えがポイントだった。
そこで、相手にメッセージを残すためにはいいたいことをキャッチフレーズ化・格言化するといいようだ。そうすれば、話の内容は忘れても印象的なフレーズだけが残るからだった。
齋藤氏は自身の例を引き合いに出していた。「自分を元気づけるためには自画自賛するのがいい」ということを伝えるために、「自画自賛力」というキャッチフレーズを作っている。これなら、短くて覚えやすそうだ・・・な。

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発言するときは、会議を「リング」だととらえなくてはいけない。

「人を10分ひきつける話す力」齋藤孝著より。
会議に出席することイコール、リングに上ることということになる。実にインパクトがあるフレーズだった。
会議というとなんだか時間がかかりそうなイメージがある。時には気が滅入ることもあった。むしろ楽しい会議などは稀だろう。
会議は要するになにかアイデアを出して決定、または通達するために開催されることが多い。それなりに情報をしっかりと持って出席しないと、つまりノーガードではすぐに攻撃されてしまう。
リングに登場するメンバーや議題によって会議もさまざまだから日頃からの心構え次第かな。ネタの準備は十分か、アイデアは持っているかを事前にチェックしておかねばならない・・・な。(打たれてもしっかりと打ち返せるように・・・)