家庭菜園で節約と安心。

朝日新聞」2008.11.1付けより。
生活面でのタイトルがこれだった。このところ立て続けに食品をめぐる事件が起きているから、できれば自分で作りたいと考える人が増えているようだ。だからこその安心なのだろう。また節約とはいってもそう多くは期待できないだろう。
私は個人的にはそのほかプラスαの効用としては、作ったり収穫する楽しみが大きいと思う。きっと一度でも自分で野菜を作ったことがある人なら、その楽しみは実感としてわかるはず。
また、採りたての野菜を味わえることも家庭菜園の醍醐味だろう。どんなに裕福でも採ってから数分後の野菜や果実をそうそう味わえるものではない。別に家庭菜園をするための土地がなくても、ベランダでもけっこう楽しめるようだ。
ある大学の先生は「ベランダ栽培の方が手軽。容器と土、苗(種)があれば始められる」と述べている。土は初心者には培養度で十分なようだ。あとは水やりだろう。野菜の成長は当然ながらスローライフ。でも、それを見ていると自分にも元気をくれそうな気もするな。


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パチンコと俳句は楽しみにおいて同根・・・
朝日新聞」2008.11.2付けより。
“たいせつな本”という書評欄のようなところで目にしたフレーズだった。これは俳人坪内稔典氏が言っていたことだった。この方の父親はパチンコが大好きで90歳で亡くなる2日前までパチンコを楽しんでいたという。
そして、坪内氏は父親がパチンコに夢中になったのと同じ気持ちで研究や俳句に夢中になったと振り返る。だから、一見まったく関係なさそうなパチンコも俳句も夢中になって楽しめれば同じだと考えていたようだ。
そして、そんな考えに確信をもたらしてくれた鶴見俊輔の『限界芸術』だったという。この署名を見ただけでなんだか堅苦しそうな感じもする。しかし、そこには「芸術とは、たのしい記号と言ってよいだろう。・・・」というような書き出されているようだ。
限界芸術とはなんだろう。それは芸術と生活との境界線にあたる作品を指していたのだ。それは、手紙、庭いじり、早口言葉、盆おどり、カルタ、落書き、家族アルバム、積み木などといろいろあるようだ。
なんだか身近に感じられてくる。そして、それらのものが「純粋芸術・大衆芸術を生む力をもつ」という。専門家がつくるのは純粋芸術で、専門家が作って大衆が享受するのが大衆芸術のようだ。それを知って、坪内氏は自分の俳句を限界芸術として作ろうと思ったらしい。
なお、ここでのタイトルは「パチンコするように楽しく俳句作りたい」となっていた。そして、氏にとっては『限界芸術』がたいせつな本ということだった。このように自分の考えを確信させてくれるような一冊に出会えるのも素晴らしいこと。

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話す力をみれば、その人間のポテンシャルがわかってしまう。
「人を10分ひきつける話す力」齋藤孝著より。
10分間は難しいが3分程度なら話せるだろうと思ったらそうではなかった。ここでは日常会話での少人数によるコミュニケーションではなく、メッセージを多人数に向けて発信するという意味合いだった。
自分がどれだけ人をひきつけて話すことができるかなんて考えたこともなかった。まず、できそうもない。もし、十人の役員面接だったら、その一人が10人分くらいのプレッシャーを持っていると齋藤氏は言う。
なかなか面白いたとえだった。ということは、10×10で百人の前で喋るのと同じプレッシャーになる。そして、千人規模の会社の社長なら一人でも千人に相当するプレッシャーがあると考えれるようだ。
そんな状況できっちりと話すことができるのは苦労しそうだ。つまり、こちら側のエネルギー量がかなり大きくなくてはならない。もちろんある程度の訓練も必要そうだ。問題は話慣れをしたところで、人をひきつけられるかどうかは分からないことだ。
話し上手な人の秘密は・・・話のネタが多いことだった。普段から知識、知恵、体験をどれだけストックしているだろう。さらには張りのある声、話すスピード、テンポ・・・。こんなことを考えるとやはり、意味のあることを3分でも話すことはかなり難しそうに思えてきたな。

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怒りは元気のバロメーター。

1週間ほど前に同僚の先輩が、仕事上でなんだか理不尽なことがあったらしく怒りを爆発させていた。ふだんはけっこう面白い感じで親しみやすい先輩ではあるが、そんな状況は珍しかった。
やはり仕事上で納得がいかない場合もありえる。そんなときは嫌でも怒りがこみ上げる。自分は正当なのに、相手がまったく理屈に合わない主張をしていることもある。
その怒りは誰もが納得するものだったりもする。しかし、そんなとき声や態度に怒りを表す時は、ある程度元気でなければ迫力もないだろう。“これはおかしい!なぜだ!”というような強い勢いが出せるときは、そこそこ本人が元気であることが前提だとも思われる。
そして、何がどうなっているのかをしっかりと理論的に説明するには弱弱しい声では、せっかくの正しい主張もダメになってしまう。それではもったいない。アントニオ猪木のお決まりのフレーズのように「元気があれば何でもできる!」かも。
私はその時、思わず「怒りは元気のバロメーターだね」とその先輩に行言ってみたのだった。すると彼はハハハと笑っていた・・・(ような気がする)。そして、自分でもそれはフレーズになっていると思ったのでここに残しておいた次第。