拍手とは自らを救済する祝祭の技・・・

「座右のニーチェ齋藤孝著より。
べつにニーチェについて予備知識がなくてもお気軽に読める。しかも、この本のサブタイトルがちょっとすごい。“突破力が身につく本”となっていたからだ。
さて、ここには「拍手」につての効用には3つあると書かれていた。たとえば、会議などで人のアイデアが自分のよりおもしろかったとする。
そんなときに人は素直に褒めなかったりする。「アイデアはいいが現実的にはむずかしいね」「思いをいうだけなら簡単だけどね」といった感じで。本当はいいと思っても、嫉妬でそう言ってしまったりする(かもしれない)。
そこで、先に拍手してみると、言葉がそれに引きずられるという。「なかなかいいね」「ああ、それはいえてる」などと。つまり肯定から入ることができるというわけだ。
ということで、「拍手」の3つの効用とは、1、場が盛り上がる。空気がにぎやかになる。2、褒められた側が気分がいい。褒めてくれた人に対して自然と好意を持つ。3、拍手をすると嫉妬の泥沼から抜け出すことができる。
ふつう自然には拍手ができないもの。ということは意識的に身体の習慣として覚えておくことが必要そうだ。まずは、素晴らしいブログ(日記)を読んだら練習ししてみるかな・・・

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歴史に名を残す創造者たちは、ごく短い期間に傑作を次々ものにしてしまう。

「座右のニーチェ齋藤孝著より。
実例がいくつか述べられていた。夏目漱石が作家活動を行っていたのは、1905、6年に『吾輩は猫である』を発表してから50歳で亡くなるまでの10年間ほどだった。樋口一葉の作家生活は「奇跡の14か月」と呼ばれるほどごく短い歳月だった。
そういえば、昔の人は平均寿命が短い中でその後の歴史に残るような名作を数多く創作していた。いくら現代の作家が多作でも、ほとんどその死後は時代に埋もれてしまうのではないだろうか。
莫大なセールスを記録しているロックバンド、ビートルズもデビューから解散までの期間はわずか7,8年で、ピークはさらに短かった。日本のGSブームも短かったな。また、GSといっても、それがグループサウンズだと実感できるのも、50代以上の世代に限られるかもしれない。
創作期間は短いものの、その間に作り上げたものは質も高く量もかなりのものだった。量が多いからこそ、質の高いものも生まれたともいえるだろう。
ここに次のような箇所があった。「たとえばまだ駆け出しの頃、あるいは不遇のさなかに、ある仕事をのオファーを受けたとする。そのときどんな意識で仕事をしたかは大きい。・・・」
これは齋藤氏自身の体験が言わせているのだろうと思った次第。現在のような活躍の元は不遇の時代にも耐え、充実した研究の日々をすごしたからだと言えそうだが。


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現代の「まずは検索」という検索ライフ・・・
「座右のニーチェ齋藤孝著より。

インターネットが発達した現代では、誰もが「ムダな努力」を惜しむようになってきた。事前にあらかじめ検索で調べ上げておけば、失敗やエラーはかなり少なくなるからだ。
しかし、齋藤氏は本当の喜びや感動はそこからは生まれにくいという。便利になれば、なるほど逆に失われる感動もあるようだ。
ベストセラーやランキングに表れているものだけをチョイスして読んだり、買ったりするのは一見効率がよさそうだが、ただ消費しているだけにさえ思えてくる。
自分の足で歩いて偶然発見した(自分にとって)おいしいレストランは記憶に深く残るに違いない。他人にはありふれてはいても、自分にとってのオンリーワンの店を発見した喜びは、検索ライフからは得られないはず。
手間暇かけたムダ足があるからこそ、発見しした喜びや感動も大きくなると思える。古本屋で見つけたすでに絶版になった一冊の本も輝いて見えるだろう。そんな偶然の出会いは宝と言っていいかもしれない・・・な。