毎日欠かさずダンベル運動を二百回、腹筋背筋運動を二百回やっている

「文藝春秋」2008.10月号より。
これはもう現役を引退してからかなりの年数が経っている元プロ野球投手の村田兆治さん自身の言葉だった。村田さんは今年59歳になる団塊の世代の一人だが、今でも現役時代に遜色ない球を投げたくて毎日トレーニングを繰り返している。
それは、いったい何のためだろう、と誰もが思うに違いない。ただ自身の健康のためなどということではなかった。現在、離島の子どもたち同士が野球を通して、夢と目標を抱いてほしいとの願いからその活動に力を注いでいた。
そこでは子どもたちに感動を与えるためには本気の球を投げることだと知っていたのだ。実際にマサカリ投法で投げると、子どもたちの目も輝いたようだ。子供たちに本気になっていろいろ学んで成長してほしいと願うからこそ自身も本気に体を鍛えていたのだった。
そして、今年の7月27、28日には伊豆大島で第一回「全国離島交流中学生野球大会」が開催されていた。そもそも離島に思いを持ち始めたのはマウンドを去った翌年、平成三年の秋に新潟県のある島の小学校に講師として招かれ、野球のコーチをする機会があってからだという。
かなりの年数を経て、いろいろな苦労の末、離島甲子園は実現している。子どもに夢を与えたいという強い思いが実現したようだが、村田氏にとってはこの継続はチャレンジでもあるようだ。「人生に引退はない」、「団塊の世代はいまだ人生というマウンドに立っている現役投手なのだ」という氏自身の言葉は力強い。なお、氏の信条は「人生先発完投」だった。

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予定調和に終わらない、思わぬ発想を得ることもしばしば・・・
「文藝春秋」2008.10月号より。

今月13日の日記では久石氏の著書からのフレーズをとりあげていたので、今年の夏に大ヒットした映画「崖の上のポニョ」の曲が生まれたのかがちょっと気になっていた。すると、ここに最近のエッセイがあったのだ。題して『「ポニョ」が閃いた瞬間』とあった。
たとえ、あの映画を見ていない人でもテレビやラジオから流れてきた「ポ〜ニョ、ポニョポニョ〜♪」の言葉を耳にした人は多いに違いない。しかも数回聞くと頭に残ってしまったり。
それは意外にも苦労の末生まれたものではなかったようだ。そのことについては次のように語っている。「二年前の秋、武蔵野の緑に囲まれたスタジオジブリの一室。宮崎駿監督が映画の構想を熱く語っている。その言葉に耳を傾けていると、僕の頭に突然メロディが浮かんだ。ソーミ、ドーソソソと下がっていくシンプルな旋律。」
映画の座の中心は監督で、その意見は絶対なもの。そして周囲には多くのスタッフがいる。音楽もさまざまな制約を余儀なくされる。そんな彼らと激しい意見の交換をすることが、予定調和に終わらない、思わぬ発想を得られる機会だという。それこそが面白いところらしい。
一般に創作というと、無から有を生み出すようなイメージがあるが実際それは無理な話だろう。久石氏は次のように述べていた。「聞いたもの、見たもの、読んだもの。そうした経験を創り手の個性を通過させ、新たにできあがった結晶が作品と呼ばれる・・・・」と。
ということは一見、すぐに閃いたような作品もそれまでの長年にわたる多くの知識、経験などの蓄積があってこそだということがわかる。


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けじめのない、荒唐無稽な、まったく意味のないギャグやキャラクター・・・
「文藝春秋」2008.10月号より。
これは、赤塚不二夫のギャグ漫画に出合った時、タモリが感じたことだった。タモリ赤塚不二夫によって見出されたといっても過言ではないだろう。出会ってから30年というから長い間、赤塚の影響を受けてきたともいえる。
赤塚不二夫が亡くなったのが、8月2日でタモリがその弔辞を読んだのが8月7日だった。7分間にわたるかなり長い弔辞は実に内容が濃いもので、名文にさえ思えた次第。しかも、後日それが白紙で前日酔っ払って原稿を書けなかったのでアドリブだったとか。(ここにはそのことには全く触れられていなかったが)
私も小中学生の頃、「おそ松くん」などのマンガを読んだものだった。しかも読むだけでなく、そこに出てくるキャラクターをよくノートや広告の裏紙に描いていたな。しかし、一見簡単そうに見えるキャラクターも描いてみるとそっくりに描くことは難しかったものだ。
タモリの弔辞のなかに『私に「お前もお笑いやっているなら、弔辞で笑わせてみろ」と言っているに違いありません。』という部分があるが、このようなくだけた表現はこのような状況ではふつうは使われないだろう。しかし、それは長年にわたる深い付き合いがあるからこそ許されることに違いない。だからこそ心がこもっているとも思えた次第。
さらに抜粋してみたい。『あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を時放たれて、その場その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは、見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。』
なんと哲学的な部分だろうと思い、何度も読み返してしまった。(まだまだ抜粋したい個所はあった。)また、最後の言葉「私も、あなたの数多くの作品の一つです。」という部分もタモリ以外では言葉にできない部分だと思えた次第。今さらながら、この弔辞(名文)がすべてアドリブだとしたら本当にすごい!・・・・な。