サラリーマンと違って、僕らのような仕事はいつが潮時なのか・・・

朝日新聞」2008.9.14付けより。
作詞家の秋元康氏が「仕事力」の中で語っていた言葉が気になった次第。氏は小説も書き映画もつくり、またアイドルユニットまでプロデュースしてる。しかも、現在は京都造形芸術大学の副学長にもなっている。実に驚くべきマルチな才能を発揮して生きている。
そんないろいろな仕事も、やりたいことをシフトしながら自然に続けているだけだと語っている。ここでのタイトルは“呼吸するように仕事しよう”、となっているが、それは氏自身がそうやって生きてきたからこそいえるのだろう。また、かつて美空ひばりがヒットさせた「川の流れのように」の作詞も氏の代表作だが、人生もそのように自然に身を任せていきませんか、とアドバイスしている。
いま氏が書いている小説は「潮時」をテーマとしているという。つまり、それは現役を離れるという意味だろう。サッカーでは三浦知良は現役をつづけているが、中田英寿は早くに引退してしまっている。秋元氏は中田はどんな時に潮時を感じたのだろう、と考えている。
で、サラリーマンなら定年が、一つの潮時と考えているのだろうか。しかし、それは組織での雇用期間が終了したというひとつの区切りであって、その人自身が感じる潮時とは異なりそうだな。だから、当然ながら、その後も現役世代と同じ組織で働いている人も見かける。ただし報酬面では別だろうが。
働けるうちは働くほうが、心身にもよさそうだ。自分の中だけで潮時を感じる時ってどんなときだろうか。やはり体力、スタミナ、根気が続かなくなったときだろうか。今までたやすくできたことが、できなくなったと感じたときかもしれない。しかし、それでも自分なりに自然に任せて生きられたらいいのだが・・・(できれば、ゆったりとした川の流れのように

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食費に困って買った豪華本。
朝日新聞、土曜版」2008.9.13付けより。
これは“ばらんすシート”というコーナーで歌手・女優の森公美子さんが語っていたところで目にしたタイトルにあったフレーズだった。もともと森さんは資産家の家に育って、お金には苦労したことがなかったようだ。しかし、オペラ歌手を目指して東京の音大で勉強していた時に、親にミュージカル女優になりたいと言ったら、親が怒って仕送りを止められてしまったという。
仕方なくアルバイトを始めて、残っていたお金の一部で買ったのが“食べられる野草の本”(5千円)だったという。何十年前か分からないが、5000円もあれば節約すればかなりの食費に匹敵しただろう。しかし、そんな中でも豪華本を買ってしまう勇気がすごい。
困っていてもそんな本を買ってしまえるところが、彼女の個性なのだろう。後に、そのことをネタに何十年も笑いをとってこられたから、無駄遣いではなかったと述懐している。私も財布が空っぽになってしまうくらい使い切ってしまうことはよくあるが、ほとんど無駄遣いかな。
2年前にご主人が交通事故に遭って、生死の境をさまよって、今でも重い障害がのこるという。これを機に、のちのち思い出に残るような買い物を意識するようになっているらしい。これも、学生時代に買った贅沢な本が無駄ではなかったことが身にしみているのだろうか。

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ここぞという時の勝負曲・・・
朝日新聞、土曜版」2008.9.13付けより。
“うたの旅人”という特集記事のなかで出会った言葉だった。それだけだと、カラオケなどで自分が最も得意で自信を持って歌える曲、のようにも思えてくるだろう。しかし、ここではそういう意味ではなかった。
プロ野球で選手が打席に入る時や投手がピッチャーマウンドに向かう際に流れる曲のことだった。それらの曲は選手個人の好みで決めているらしい。
メジャーリーグで先日、野茂投手の持つ日本人大リーガーの記録を塗り替え17勝目をあげた松坂投手も自分の勝負曲というのを持っていた。それは、EXILEの「real world」だった。昨年の終盤、スランプに陥っていた時、しかも優勝がかかってした試合を経験したからだった。がけっぷちの状況で結果を出さねばという心境と歌詞が重なったという。
それで気持の切り替えが成功して、リーグ優勝することができ、ワールドシリーズでも好投でき優勝できたから「ここぞという時」の勝負曲と言えるようだ。
今年、イチロー選手の入場曲は石川さゆりの「天城越え」だということは有名ですね。アメリカの空の下で聞く演歌もいいでしょうね。これからもたくさんの記録を越えていってほしいですね。蛇足ながら、オリックスの清原の引退試合では長淵剛がライブで「とんぼ」を歌うんですってね。

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得意としていたのはセーフティーバント
「ヤフースポーツ」2008.9月のコラムより。

すべての新聞の見出しでかなり大きく報じられるのは時間の問題だろう。そのスポーツニュースの記事はイチロー選手の8年連続200本安打達成のことだ。イチロー選手がメジャーの大記録に近づくたびに、かなり昔の記録にもスポットライトが当てられることになる。それらはほとんど忘れられているかメジャーの歴史に埋もれた記録ばかりだ。
もし、イチロー選手がいなかったらほとんど思い出されることのない記録だったかもしれない。今回の記録もなんと1世紀以上も前のメジャー記録と並ぶことになる。それは107年前に達成されたキーラーという一人のメジャーリーが記録していたものだった。メジャーの歴史の長さを感じさせる。
キーラーは身長162センチ、体重64キロと小柄な選手だったらしい。しかし、俊足で内野安打が多く中でもセーフティーバントが得意だったようだ。守備側からすれば、足でかき回すようないやらしいバッターだったのだろう。
ところが、このキーラーによって、ルール変更までしなけばならなくなってしまったようだ。それは、当時はスリーバントを失敗するとアウトになるというルールはなかったからだ。だから、しつこくバントを狙うキーラーには有利だったのだろう。しかし、そのおかげでファウルを20球も30球もされたら投手の疲れは増すだろうし、試合は長引いてしまう。
だからこそ、達成できた年間200安打の記録かもしれない。それに比べれば、その後にスリーバント失敗はアウトというふうにルール変更された状態では簡単にバントヒットはできなくなる。ということはその後のバントヒットはより価値が高いともいえそうだな。