野武士の2連覇と少年旋風。

「ニッポン五輪メダルプロジェクト」岡田忠著より。
このタイトルからはいったいどんな種目を連想できるだろうか。実は日本のオリンピックでの水泳競技のことだった。日本の水泳は1920年アントワープ大会が初出場だった。
そして、最初の金メダリストはその8年後に生まれている。第9回アムステルダム大会(1928年)だった。男子200メートル平泳ぎで鶴田義行選手が優勝していた。さらに次の第10回ロサンゼルス大会(1932年)でも鶴田選手は2大会連続で金メダルを獲得していた。
そして、その第10回大会では何と男子競泳は6種目中5種目に優勝していたのだ。その中でも大きな特徴は10代の選手の活躍だった。14,15,16,17歳という選手たち、さらには大学生たちが大活躍していた。
その大会での各メダル数の集計があった。金メダル7つのうち5つは水泳だった。銀メダルも7つのうち5つは水泳、銅は4つのうち2つは水泳となっていた。ついでに翌第11回ベルリン大会(1936年)の水泳のメダル獲得数も見てみよう。金メダル6つのうち4つ、銀メダル4つのうち2つ、銅メダル10のうち5つ。
振り返ってみれば、戦前のこの2回は日本水泳ニッポンと言われたのピークだったようだ。その後世界のレベルは上がっていき、日本人の活躍はまばらなものとなってしまった。今北京大会では北島選手の活躍で水泳も楽しめたが、次の大会はどうなるのだろう。各競技ともうまく世代交代できればいいが。

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五輪に出る日本の柔道選手はみんな「プロ」である。
日経新聞、夕刊」2008.8.15付けより。
千里眼”というコラムのなかで山口香さんが述べていた。
(山口さんは元女子柔道選手で現在は筑波大学大学院准教授。段位は六段。浦沢直樹原作漫画「YAWARA!」の主人公のモデルである。ソウルオリンピック女子柔道銅メダル(当時は公開競技)、世界選手権金メダルなど。別名「女三四郎」。)
男子ではもっとも金メダルに近いと思っていた鈴木桂治がよもやの一回戦で敗退してしまったあとで、彼女からの厳しい指摘があった。それは特に北京五輪での男子柔道の期待はずれについてだった。内柴選手、石井選手だけは金メダルを獲得できたが、その他の選手の活躍を目にすることはできなかった。
とにかく日本の柔道選手は恵まれているようだ。それは競技に専念できる環境を与えられ、普通のサラリーマンよりもはるかに高い給料を得ているからだという。そんな意味で「プロ」という表現を使っているのだろう。
だからこそ、外国の選手に比べてハングリーさが欠けているのではないかというような意味のことを述べている。つまり恵まれた環境があだになっているように見えるのだ。国内の柔道が世界で通用しなくなってきている。
かつてはお家芸だった柔道もすでに世界の競技になってしまっている。今後世界から取り残されないためには強化方法の見直しが必要だと山口さんは述べている。