お笑いタレント依存率が高い・・・

『「お笑いタレント化」社会』山中伊知郎著より。
「空気が読めて、笑いが取れて、ネタ持ってる・・・」要するにこれが今ウケているお笑いタレントたちだろう。お笑いタレントが今ほどテレビで大ウケしている時代はあっただろうか。テレビをひねれば、どのチャンネルの番組にもいろいろな形でお笑いタレントは出演している。
特にバラエティ番組(クイズ形式も含め)の司会者はお笑い芸人(漫才師やコントのコンビ)がやって、そのゲスト回答者としてワンランク下のお笑い芸人が並ぶという構図が多い。また経済やニュース番組、トーク番組の司会なども若手芸人が仕切っていたりもする。
もちろん生存競争は激しい。1発ギャグやショートコントで1、2年は持ったとしても、5年、10年以上続く芸人はそう多くはないだろう。テレビの視聴率のために消耗品化しているようにも思える。よほどの実力がないと生き延びてはいけないな。
なんだか、お笑い芸人の成功の果ては、お笑いの芸で視聴者を楽しませるというより、むしろ番組の司会業をやることみたいにさえ思えてくる。またちょっとしたドラマにも使ってもらえるかもしれないがよほどの演技の才能がないと役者にはなれまい。たしかにアドリブには強いかもしれないが、お笑い芸人なら本来の芸で視聴者の前に出てほしいな〜〜

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目に見えない数百、数千万人を相手にしなくてはならない。

『「お笑いタレント化」社会』山中伊知郎著より。
つまりこれはテレビで活躍する「お笑タレント」たちのことだった。寄席や劇場なら、目の前の限られた数十人、数百人の観客を相手にすればいいが、テレビではそうはいかない。
テレビでは笑いをとるには、落語の名人芸よりバナナの皮で滑って転んだ方が簡単のようだ。つまりそんほうが「わかりやすい笑い」だからだった。ところが、その滑って転ぶとはいっても、一流のプロと素人では歴然と違っている。プロは何十通りもの滑りのパターンを持っていて、その場に合わせて面白い滑り方ができるという。素人はそこまではいかないのだ。
わかりやすい笑いということなのだろうか、最近はおバカタレントと呼ばれる素人まがいの芸人がもてはやされている。芸があるのか、天然ボケなのかもわからない。持って生まれた才能やキャラクターは身を助けるのだろうか。またテレビ製作者側の演出力なのだろうか。
お笑いタレントは一度ウケると、テレビドラマや演技力があれば映画俳優としても起用される。その知名度を利用して、議員や知事になった人たちもいるほど。いずれにしても、何ごとも勉強や蓄積なしには続かないかも。

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お笑いタレントの基本はネタの力・・・

『「お笑いタレント化」社会』山中伊知郎著より。

つまり「ネタ力」がなければ意味がない。それはしっかり練られて笑いがとれるネタという意味だろう。しかも、「ネタ力」には次々と新しいものを生み出すことができる力も当然入るだろう。いくら一度大ウケしたからといっても、その後が続かなければすぐに忘れられてしまう。
お笑い芸人を目指す若者は数千人いるという。それは「M1グランプリ」の応募者が4000組と言われていることからもうかがえる。そのチャレンジャーは毎年増加しているらしい。
結局そのネタ力を養うために多くはお笑い養成所に入る。大きいところは有名な吉本のNSCだろう。その中で目立つ存在になるだけでも大変なこと。さらにライブのステージに立てるまで脱落するわけにはいかないだろう。M1でも決勝大会には毎年多くの吉本出身のお笑い芸人が残っている。
また、東京では人力舎が運営する「スクールJCA」というのがある。例えばアンジャッシュアンタッチャブルドランクドラゴンなどはこの養成所出身だった。それは杉並区高円寺にあるので、仕事でその近くの公園を通りかかることがあるが、しばしば外で練習をしている若者のコンビの姿を見かける。
2007年は入学試験で半分は落ちているという。また入学金、授業料は年間六十万円とかなりのもの。それだけ真剣にお笑いを目指している若者が多いということだろう。今後もまだ増え続けるのだろうか。
また下積み生活にどれだけ耐えられるだろうか。その忍耐力も必要だが、実力と同時に認められるための出会いというチャンスも運に左右されるだろう。まずは、理屈抜きでネタが面白いことだな。


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オリンピックはやはりプレッシャーをお友達に出来る人でないと・・・

ある人のブログを拝見していたら、冒頭のこんなフレーズが気にかかった次第。“プレッシャーをお友達に・・・”というところが面白い。普通なら、「プレッシャーをはねのけて・・・」とか、「プレッシャーをモノともせずに・・・」などの表現を使ってしまいそうだ。
水泳の北島選手は期待が異常に大きかっただけに、そのプレッシャーは計り知れない。また、柔道で金メダルをとった内柴選手は初日に負けた平岡に握手をせがんで平岡の無念を背負って戦ったようだ。
大きな試合になるほど、応援する人たちの期待が大きいほどプレッシャーは大きいものだろう。(失礼な話だが)逆にそれほど期待が大きくなかった選手ほどのびのびと自分の力が発揮できたり。
いずれにしても、緊張感はほどほどにあったほうがいい結果を残すことができるとはよくいわれること。しかも、その緊張感を味方につけられればすごいものだ。
私が読んだのは「ポセイドンの飛行艇」という短い日記ながらホンネが書かれているブログでした。