ムダこそ自分を豊饒にする。

「知的経験のすすめ」開高健著より。
著者がアラスカの原生林で老人のガイドにレクチャーされたことがあった。森の中には倒れて朽ちたままになっている風倒木というものがあったらしい。
これは実はゴミではなかった。逆に森を育てているものだということで、“ナース・ログ”(看護婦の木)と呼ばれていたものだった。
風倒木は森の湿気を保ち、苔を育て、川の氾濫さえも防いでくれていた。朽ちた木は分解して栄養分を森に与えていた。つまり私たちが身近でも見られる腐葉土のようなものになっていたのだろう。
そこでは、キノコが育ち虫や鳥やネズミなどの動物も育つことになる。だから一見ゴミのように見えても、森にとっては不可欠なものだったといえる。
知らず知らずのうちに50年以上も生きてくると、実にムダな時間を過ごしたと思うこともある。しかし、そんな中にも皮肉なことだが、反面教師というような人にも出会っていた。
そう考えれば失ったと思える時間も単なるムダではなかったとも思えたりして。少しは今の自分の役に立っていることもあるかな・・・(そう考えないともったいない気もするな)

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教育の別名は経験と考えて・・・
「知的経験のすすめ」開高健著より。
人間はもの心つく前から、無意識のうちに教えられることの連続で生きているようだ。とくに幼いころは親の言葉や動作を真似してものを覚える。日常生活をするためにいろいろなことを教えられ身につけていく。
教えるのは親ばかりでなく、兄弟姉妹であったり、いずれ学校の先生、友人と変化していく。家の中でも外でもまた読んだ書物からも教えられる。今の自分があるのはそんあ無数の教えから成り立っているともいえそうだ。
そして、その教えとは経験といってもいいようだ。経験は多くのものを理屈なしで教えてくれる。単に人の話を聞いたりテキストから教えられるより、積極的に手、足、目を使って経験を通したほうがより深く理解できるもの。
教育は学校時代よりもむしろ社会に出てからのほうが重要かもしれない。誰も教えてくれる機会がなければ自分で学ばねばならないし。実はそれが難しい。失敗という経験もある意味いい教育だが、歳をとってからはきついだろうな・・・

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個性を伸ばす特効薬・・・
「そのとき選手が変わった!」児玉光雄著より。
一般的にも言えることだろうが、ここではスポーツ選手を例にとっている。ラグビー監督の平尾誠二は「失敗に対する恐怖心を取り除いてやること」こそが、その「個性を伸ばす特効薬」だと主張している。
何ごともチャレンジする時は、失敗を恐れて消極的になりやすい。しかし、ここでリーダーがはっきりと「失敗しても大丈夫!オレが最終責任と取るから」と言えば、選手も気が楽になりのびのびとしたプレーもでき個性は発揮されやすい。
平尾は昔ながらの短所を矯正する「悲観的コーチング」から、長所を伸ばしてやるという「楽観的コーチング」を提案実行していた。それでこそ、観客に感動を与えられるゲームができるのだろう。
ビジネスの現場でも減点主義がはびこっていては、社員(メンバー)は思いきった仕事もできないだろう。上司、リーダー、監督はどれだけメンバーのいい個性を発揮させることができるかで、組織の勢いは変わるだろう・・・な。


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失敗重ねセンサー開眼。
朝日新聞」2008.7.31付けより。
先月末にメジャーリーグで、イチロー選手が日米通算3000本安打を達成していた。そんなイチロー選手にとって、体とボールのタイミングについてひらめいたのはかなり前のことだった。つまりそれが「開眼」ということになる。
99年4月11日、オリックス時代、ナゴヤドームでの西武戦で9回にボテボテの2塁ゴロに打取られた瞬間がそれだった。
自分のフォームとゴロを重ね合わせて、方程式を解くように解答が見つかったともいう。クリーンヒットよりもむしろ2塁ゴロこそが、誤差を修正するセンサーと呼び起したのだった。ものごとの本質が理解できるのは、うまくいったときよりもむしろ失敗の結果見えてくるものだろうか。
どうせダメだと思っていれば、失敗はないが成功もないか・・・。偉大なる人は失敗から多くを学んでいるんだな〜〜〜