深夜の霞が関に群がる無数の蛍のような個人タクシーの群れ・・・

朝日新聞」2008.6.12付けより。
たまたま今月6日の日記の中で、タクシー業界も規制緩和で過当競争になり営業が厳しくなったというようなことを書いていた。そのためか、この日の朝刊の投書欄にあったタクシー運転手自身による意見が気になった。
上記はその人の表現だった。そして、そのあとには“おそらくその多さに驚きを隠せないだろう。”と続いていた。そういえば、ある晴れた日に新宿西口の地下街の道路を車で走っていたらかなり長蛇の列のタクシーがほとんど動かない状態だった。雨でも降らないと営業は厳しそうだ。
中央省庁への「接待タクシー」問題がかなり大きく取り上げられていたのは今月初め頃だった。規制緩和でタクシーが増え、そのしわ寄せのためにタクシー運転手がそれなりの営業努力をせざるを得ない結果だろうと述べている。
要するに、道路脇で手を挙げているお客ばかりでは距離が伸びず、売上も伸びないから、長距離のお客を確保せねばならないと考えているようだ。
そのために自分を指名してもらうか、直接携帯電話で呼び出してもらうしかないらしい。この投書の運転手さんも、後部座席にはのど飴や新聞紙などを用意して自分なりのサービスを心掛けているという。いくらお客の確保のためだからといって、金券、カード類、現金は行き過ぎだともいう。
またそれを無意識のうちに受け取る人間も神経が麻痺しているな。こんなところにも国民の税金で食っている人間の、親方日の丸の気持ちがありそうだ・・・な。

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上司は選べないけど、先生は選べる。

ある英会話学校の車内広告のコピー‏だった。数日前に電車に乗っていたら、こんなコピーの広告が目に入った。吊革につかまり立っていたので、片手でケータイでそのフレーズを打ち込んで自分宛にパソコンのメールアドレスに送信しておいた。というのもケータイにメモをしてもほとんど読み返すこともなく忘れてしまうからだ。(と、ここまでは前置き。)
つまりこの英会話学校では、会社の上司、部下という関係と違って学びたい先生を選べるということだろう。または、どの先生についたとしても自信を持っていい授業ができるということもいいたかったのだろうか。
ふつう、小中高の学校に入学してもやはり生徒は先生を選ぶことはできない。気に食わない教師のクラスまたは教科でも耐えなければならないだろう。まあ、大学あたりになればある程度は評判のいい先生に教わることはできるかもしれないが。
これをもう少し広げて考えると、上司、先生は別として「師として仰ぐ」といえるような人なら会社でも学校でもいるかもしれない。そのような人とは偶然の出会いしかないだろう。もし、そのような師として仰げるような人と出会えたらその人の人生は得をしているともいえそうだな。たとえばそれは歴史上の人物でもいいかもしれないが。