アイデアは、努力したからといってひらめくものではない。

「考えないヒント」小山薫堂著より。
副題は“アイデアはこうして生まれる”、となっていた。これはあくまで氏が繰り返し経験してきたことから言えることのようだ。誰にでも当てはまるとはいえないが、もしかしたら当たっているかもと思った次第。
まずそれは、アイデアを仕上げることと、アイデアを出すことは違うということだった。すでにひらめいたアイデアを完成したものに仕上げていくには努力が必要でそれによって磨き上げられるともいえる。
しかし、その元となるアイデアはうんうんと唸ったからといってひらめいてくるわけではない。そこで、氏はアイデアを頭で考えようとせず、体をアイデア体質に変えることだと述べている。そこのところが努力が必要とされるところだった。
その体質を作る効果的トレーニングとして「勝手にテコ入れ」と氏が名付けている習慣があった。つまりそれは、“自分だったこう考える、こうする”と考えてみることだった。たとえば、レストランのメニューを見たら、“自分だったらこんなメニューにしない、こう考える”ということだった。もちろん余計なお世話だが。
習慣として、目に入るものを勝手に「ここをこうしたらもっとよくなる」という発想の訓練をすることだった。これなら身近なもので結構トレーニングできそうな気もするな。まずはできそうなものから始めてみるかな・・・

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「偶然力」をつける。
「考えないヒント」小山薫堂著より。
(前日のつづ)
要するにこれも、氏のアイデア体質になるための方法だった。「偶然」はすべて「必然」と考えているようだ。これはしばしば人との出会いに使われる。振り返ってみれば、偶然の出会いが長年の付き合いになっていることもあるが、これは必然だったとも考えられる。もし、同じ学校に入っていなかったら一生出会わなかった友人もいるはずだ。
たまたま同じ会社に入ったから仕事で出会った人も多い。そしてそこから意外なつながりに発展することもある。偶然が偶然を呼んでつながっていくことを氏は「偶然の連鎖」というが、これが「偶然力」だという。結局そのためには、何らかの行動を起こしていなければそんな偶然にも出会わないともいえそうだ。
氏が日大芸術学部に入ったきっかけも、同級生がくれた偶然だったと振り返っている。第一志望校に落ちて、友人が受験する日芸を一緒に受験し、放送学科に合格していた。友人は落ちてしまったというが。現在放送作家という職業に就いて、あとから振り返ってみると第一志望校に落ちて正解だったようだ。
小山氏の父親は「人生はすべていいほうに、いいほうに向かっているんだ」とポジティブ・シンキングの持ち主だったが、薫堂氏自身もそれを受け継いで楽観主義者のようだ。そんなところがアイデア体質に向いているのかもしれない・氏自身は「偶然力を一番鍛える方法は、自分には偶然力があると思い込むこと」と語っている。
そして、今日たまたま訪問してくださった皆様に、今後何かいい偶然の連鎖が起こりますように祈っております!

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環境はアートで売る・・・
朝日新聞、土曜版」2008.6.7付けより。
別刷りの“フロントランナー”では庭園デザイナーの石原和幸さん(50)の特集記事があった。石原さんはガーデニングの本場英国でのガーデニング選手権ともいわれるチェルシー・フラワーショーで3年連続金賞を受賞していた。これは日本人初の快挙らしい。
しかも、驚いたことには庭づくりは独学だったという。師匠もいないし専門の学校で学んだわけでもなかった。ただ自分の世界を追いかけてきただけらしい。工業大学を卒業後に何と華道に目覚めて池坊に入門している。29歳のときには生花販売を始めていた。庭づくりを始めたのはその後だった。
きっとこんな独自のプロセスが独創的な庭づくりに役立ったのだろう。直線的にひとつの道を進むよりもその途中で多くのものを学んできたことが実を結んだともいえそうだ。花の路上販売からスタートして世界で認められるガーデニングの専門家になるとはとてつもない飛躍ともいえる。
タイトルに挙げたフレーズは、環境問題が深刻だからと言って世間では一般的に緑化という言葉を使っているが、石原さんはそれだけでは推進がうまういくとは考えていないようだ。つまり、そこには“わくわく感”がなければだめだろうと考えている。
つまりそこにはアートという要素も必要だというのが氏の主張のようだ。これは石原さんが花屋をしていた時に身につけたものだろう。それは売るのは花そのものじゃなくて夢だということだった。確かにこの“わくわく感”というものは、何かプロジェクトを進めようとするときには、それがあるかないかで大違いだ。
通販や近所の店で買わずに、デパートや専門店に出かけていくのはそで出会うかもしれない未知の商品へのわくわく感があるからだろう・・・な。同様なことが環境問題にも言えるはず、ということだったのだ。